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大失敗の落とし穴は「経口補水液」

~大失敗の落とし穴は「経口補水液」~

東京マラソン2025は、事前の気象情報で気温が22℃になるとの予報を意識しすぎて経口補水液を飲み過ぎた結果、大失敗レースだった。それでも東京の道を走るのは楽しい。思い出に残るレースになった。

1.EXPOへ

1.1 目標タイム写真

2月27日の木曜日、13:00にラン仲間と待ち合わせて東京マラソン2025のEXPOで受け付けを済ませた。今回は目標タイムはない。完走できればいいので、目標は時間ではなく距離を目標にして「4.21.95」と表示して撮影した。

EXPOは東京ビックサイトの南展示場で開催されている。東京マラソンが始まったときはこの南展示場はなかった。そしてゴール地点がここだった。走り終えてすぐ屋内に入れることが好評だった。

コース変更の理由は終盤の坂を避けてタイムが出やすい高速コースにしたかったいう話が定説である。しかし、ビックサイトに南展示場が出来たのでゴール会場の屋外部分を設置するスペースが無くなってしまったという単純な理由もあるそうだ。

1.2 気温天気予報

目標が完走である理由は、京都マラソンから2週間しか経過しておらず疲れがとれていないためだ。さらに一週間前から徐々に気温が上昇していることも影響している。今週のEXPOまでの東京の最高気温、最低気温は次のようであった。

 日曜日(2/23)最高10.5℃ 最低-0.2℃
 月曜日(2/24)最高10.4℃ 最低 0.3℃
 火曜日(2/25)最高12.7℃ 最低 0.5℃
 水曜日(2/26)最高16.9℃ 最低 4.4℃
 木曜日(2/27)最高16.2℃ 最低 4.8℃

気温は上がる一方である。私は寒いよりは暑いほうが好きだ。しかし好きだからといって速く走れるわけではない。このEXPOの日は、9時の気温が11.3℃、13時の気温が15.1℃だった。これくらいの気温が一番好きだ。タイムを狙うならこれよりもう少し低いほうがよい。

1.3 天気予報は22℃

3月2日の天気予報が晴れで予想最高気温が22℃といわれて、昨年秋の横浜マラソン2024での悪夢がよみがえる。

2024年10月27日の日曜日は横浜マラソン2024が開催され、夜には横浜スタジアムで日本シリーズ第2戦DeNAベイスターズ対ソフトバンク戦が行われた日である。

当日は暑くサブ4ペースで入ったが28kmまでしかもたず、そのあと大失速した。その日の気象状況は次のようなものだった。

横浜マラソン2024での12時の気温は22.4℃で、東京マラソン2025もその時と同じ気温になってしまうと、いいタイムは望めない。天気予報を見ただけで東京マラソンでのタイムは諦めてしまった。気温が高かった横浜マラソンのグロスタイムは4時間21分52秒。そのため東京の目標タイムは「4:21:51」にしようと思った。でもちょっとひねって、距離と時間をかけて「4:21:95」にして写真を撮ったのであった。でも、疲れが残っていて気温も高いとしても、4時間20分ぐらいでは走れると思う。

1.4 オレは摂取す

「オレは摂取す」を販売しているブースで、東洋大学の箱根駅伝ランナーが宣伝をしている。アルバイトなのだろうか。今年走ったというランナーに話しかける。

「箱根駅伝ではペットボトルで給水してますが、中身は普通のスポーツドリンクなのですか?」

「以前はスポーツドリンクでしたが、今はこのようなジェルを溶かして入れています。」

箱根駅伝は年々タイムが速くなってくる。シューズの進化といわれているが、補給でも進化しているのかもしれないなと思う。

購入すると選手と記念撮影ができるようだったが、購入しなかった。箱根駅伝は家の近くがコースなので六郷橋や京急蒲田駅などの沿道へ行くことが多いが、選手そのものには興味はない。今年箱根駅伝を走った選手で顔と名前のわかる選手はいないので、記念撮影したいとは思わないのだ。

2.前日まで
2.1 木曜日のその後

東京マラソン2025のEXPOからパシフィコ横浜に直行し、CP+2025を見学した。私の愛機はCanon製である。キャノンブースに直行し最新のカメラを試させてもらう。被写体はバスケットボールのコートで、チアリーダーや選手が動いているところを試し撮りできる。私が一番多く撮影するのがバスケットボールなのでうってつけである。

撮影者が視線を向けるだけで狙った被写体にすぐにフォーカスする視線入力オートフォーカス機能を試してみた。これは便利だと思うが、簡単に購入できる価格ではない。

EXPO会場で左手首につけられたリストバンドが撮影する際にどうにも邪魔であった。このバンドはなんとか考え直してもらいたいものだ。

この日は東京マラソンEXPOとCP+会場でそこそこ歩いた。準備としては十分だ。

2.2 金曜日の練習

2日前の金曜日は日中ちょっとだけ走った。じょぐのねっとわーくに「3.3km23分55秒(7分14秒/km)」と記載した通りであるが、ただゆっくりちょっと走ったのではなく、多摩川大橋近くのスロープで坂ダッシュを3本して、刺激を入れた。体の動く感触はよく、3本とも100mを22秒台で駆け上がった。

夜は大田区総合体育館で、バスケットボールB3アースフレンズ東京Z対立川ダイス戦を観戦した。

地元割引のある2階自由席で観戦した。が、写真を撮るにはやはりコートサイド席のほうがよい。しかし毎試合高額なチケットを買う余裕はないので、遠くから望遠レンズでチアリーダーや選手の動きを追った。

マラソン以外の趣味も多く、結構忙しい。

2.3 注意喚起

帰宅すると、アースランクラブからメールが届いていた。毎年4月にこのクラブ主催の「多摩川新緑マラソン」に参加している。今年はエントリーしていないので何かと思ったら注意事項であった。

◆明後日「東京」を走る方にアドバス
1)温かいので早めのスピードが出る。
2)直前練習に比べて汗を多くかく(つまり体が軽く感じられる)。
3)頻繁に水分補給する習慣がまだ身についていない。
つまり、スピードが出やすく、早めに脱水気味になりやすいのです。
1)序盤から飛ばさない。
2)軽めのウェア、帽子、ボトルキーパーが必携。
3)水分補給できる場所と機会は必ず利用する。
そして、決して無理しない、おかしいと思たらすぐに休んでください。
「ゴールで会おう」とか「30㎞地点で応援する」などレース後半の約束はよしましょう。
小銭(今はスマホアプリ?)をもって途中棄権を想定してスタートしましょう。

確かにそうかなと思う。でも東京マラソンは給水地点が多いので、さすがにボトルポーチは不要だろう。今はガーミンにSuica機能があるので、最悪自動販売機やコンビニでドリンクを購入すればよい。また私はど1,000円札1枚必ず持って走っている。

2.4 前日の土曜日

本当にそんなに暑いのか確かめるため、11時ごろに半袖Tシャツに短パンで多摩川大橋に行った。真夏と同じ服装だが、ゆっくり風に向かって土手の上を走っても暑い。明日はいくらでも言い訳できるような天候になりそうだ。脱水症状(または熱中症)になる、あるいは汗をかきすぎて足が攣る恐れがあり、十分注意が必要だと思われる。 

じょぐのねっとわーくに「3.6km24分31秒(6分48秒/km)」と記載したが、実際の内容は坂ダッシュ2本と200mの緩めの流しを2本入れている。坂ダッシュは2本とも100mを23秒ぐらい。200mはちょうど1分ぐらい(キロ5分)で走った。昨日の金曜日よりちょっと体が重い感じだった。

夜は昨晩同様、大田区総合体育館でアースフレンズ東京Z対立川ダイス戦がある。しかもOGデーで、チアリーダーのOGさんたちも一緒にハーフタイムにパフォーマンスをする年に一度の機会である。でも私は会場にはいかずにバスケットライブ(ネット配信)で観戦した。マラソンの前日だからバスケットボールを見に行かないと考えてしまった自分は、歳をとったと思う。

OGの声援のおかげもあったのだろう。アースフレンズ東京Zは逆転勝ちして連敗をストップした。横浜マラソンの高速道路上でお会いしたOGのチアさんは参加予定ではなかったのだが、当日観客席に来ていたことを後で知って残念な思いをした。

3.待ちに待ったトイレに立って
3.1 会場まで

5時に起床。朝食は焼いた餅4個。餅に海苔を貼って醤油をつけて食べる。他には何も食べない。遠征ではホテルの朝食だったりコンビニ食になるが、自宅から出発するマラソンの日の朝食は決まって餅である。必要なのは炭水化物だけだ。

山手線新宿駅到着は7時ちょっと過ぎ。すでに多くのランナーが歩いていた。半分ぐらいは外国人だ。ウォークマンでYOASOBIの「舞台に立って」を繰り返し聞きながら地下道を速足で歩くと汗が出てくる。服装は冬服なのだ。

行先は調べていないが、案内が掲示されていて困らない。Fブロックを目指し、着いたところは新宿NSビルであった。

セキュリティゲートの先はペットボトルを持ち込めない。私は経口補水液を300mlのペットボトルに入れて持っていた。一口飲んで捨てようとした。が、今日はこれから間違いなく暑くなる。そう思いなおし、300mlを全部飲み干した。

刃物やはさみの持ち込みが禁止なのはわかるが、ペットボトルまで禁止しなくてもいいのにと思う。しかし、サリンを持ち込む人がいるかもしれないと考えれば仕方ないのかもしれない。持ち込めるように紙パックのアップルジュースと経口補水ゼリーも持って来ているので、スタート前までの水分補給に心配はない。

3.2 準備はいいか?

セキュリティゲートを抜け、初めて外気に触れる。都庁を見上げると青空で、スマホで写真を撮って、「つじかぜAC2025東京マラソン」というグループラインにアップする。ついでに「すでに暑いです。」とコメントした。

仮設トイレの列が短いので、着替える前に大のほうの列にならぶ。大は昨晩済ませたのでここでは出なかったが、多分問題ない。

着替え、といっても脱ぐだけであるが、走る準備をした。

係の人に写真を撮ってもらい、アプリで背景に映っている人物を消してから、x(Twitter)に「今日は暑そうなので、無理せずに走ってきます。」とコメントをそえてアップした。facebookやinstagramではなくxにアップするのは、バスケットボール関係者が多くフォローしてくれているからである。

先週の日曜日、東京羽田ヴィッキーズはバスケットボール女子フィーチャーリーグで見事優勝を飾った。この「準備はいいか?」Tシャツは、東京羽田ヴィッキーズが今季開幕前に制作・販売したものである。写真では見にくいが、胸には私の推しである本橋菜子選手のサインが入っている。このサインは、優勝が決まった試合後に、来週これで東京マラソンを走るのでぜひサインして欲しいと頼んで、いただいたものである。苦しくなったときは、このサインを握りしめて走るのだ。

 

3.3 準備完了

預ける荷物から、アップルジュース、経口補水ゼリー、アミノバイタルゼリーの都合3パックを取り出し、スーパーの袋に入れて持つ。アームカバーとアームウォーマーは不要と判断。捨てるつもりで持ってきた手袋もしなかった。バンダナは首に巻いた。キャップも本橋菜子選手サイン入りである。

ハーフタイツを履いたのは、左脚ハムストリングスの故障がまだ治っていないからだ。サポーターの代わりである。テーピングしたほうがいいのかもしれないが、有効なテーピング方法がわからない。ゲーターは日焼け防止の目的もある。顔、首、腕、膝周りに日焼け止めを塗る。

今日塗ったのは、私の2番目にお気に入りの、ピジョン社製UVベビーミルクWプロテクトSPF20PA++である。アトピー性皮膚炎である私にとっては、赤ちゃん用日焼け止めがベストだ。普通に販売しているSPF50PA++++のようなものでは、肌が日焼け止めに負けてしまうのだ。

日焼け止めに関しては、いくらでも書きたいことがあるので、一番のお気に入りも含めて別のブログに書こうと思う。

走る姿になると暑いということはなく、ちょっと寒いぐらいである。でも涼しいのは今のうちだけだと思い、アップルジュースを飲んだ。そして、念のため会場についてから2回目のトイレに並び、小用を済ませる。アミノバイタルゼリーも摂り、ごみ箱に捨てる。

3.4 整列前のトイレ

いよいよ整列だ。Fブロックに近づく。ちょっと前にすませたばかりなのに、またもよおしてくる。Fブロックの隣にトイレがあり、まだ時間があるので100mほどの列にならぶ。ここでトイレに行けるのだからと思って、経口補水ゼリーを口にする。男子小用なのにトイレの列の進みが遅い。順番が近づくと、人の流し方が悪く、奥のほうの数基は空いたままだ。その前に係の人がいるにもかかわらずだ。

並んでいる人は、そのような状態になっているとわかっているが、奥のほうに行かない。自分も結局、先の奥が空いていると知っていながら、手前が空くのを待ってしまった。列の作り方が悪いとしか言いようがない。東京マラソンは回を重ねているのだから、もう少し手際よく運営して欲しいものだ。2年前に参加したときは時間になってしまい、用を足せずに整列したのだった。

3.5 不安を持って整列

でも、ここで運営がどうのこうのと言うのはメンタル的によくない。まあ大きな大会なのだから仕方ない。トイレを使わせてもらってありがとう。これぐらいの気持ちだ。最近はこのように考えるようになった。問題は、短時間しかたっていないのに大量に尿が出たことだった。これだとスタート後早い段階でもう一度トイレに寄ることになりそうだと思った。

スタートゲート入場締め切り時刻の8時45分を少し過ぎたときにFブロックに入った。でも、トレイにはまだ長い列があり、最後尾スタートにまわされることはなかった。Cブロックの横のトイレが使えますとのアナウンスがあったので、状況によってはそこに寄ることも考える。

遠くから小池知事のあいさつや、車いすのスタートの合図が聞こえ、東京マラソン2025の号砲が鳴った。しばらくして、少しづつ列が前のほうに進むようになった。

3.6 スタートブロックでの出会い

隣に市河麻由美さんが主宰している「壱軸倶楽部」のTシャツを着ている女性ランナーが来る。話しかけようか迷っているところで列がいったん止まった。

「市河さんのクラブですか?」

「はいそうです、私のTシャツのマークを見ているので、知っているのかなと思っていました。」

その後、いろいろと話しながら交差点を右に曲がる。市河さんによろしくお伝えくださいと言うと、名前を聞かれたので本名を答えた。市河さんは「バリー」というニックネームは知らないのだ。名前を忘れるかもしれないと言い、彼女は持っていたスマホで私のナンバーカードを撮影した。

私も彼女の名前を聞いた。ニックネームで答えてくれた。しかし、もう思い出せない。日々物忘れがひどくなっている。しかし彼女はそのニックネームの由来を説明してくれて、その内容は覚えているので、その話を市河さんにすればどなたなのか判明する。私のバリーほどではないが印象的だったのである。(個人情報かもしれないので、これ以上は書かない)

市河さんはスタート直後の進行方向右側の沿道に来ているとのこと。彼女はスマホで市河さんの位置を確認しているのだろう。確かな情報かと思う。

3.7 またトイレ

もう一度右折して、スタートゲートが見えてきた。同時にCブロック横の仮設トイレも見えてくる。もうしばらく彼女と話していたかったが、私はちょっとトイレに寄ってからスタートすると言って、そこで別れた。差し迫ってはいなかったが、スタートして走り出すとすぐに危なくなりそうだっだのだ。

ここでトイレによっても、まだスタート前なのだからネットタイムには関係ない。列の右側にいたのだが、なんとか左側に行って、トイレの列の入り口に着く。会場に着いてからこれで4回目のトイレである。

この図にあるように、〇1から順に行き、今は〇4のトイレの列にいる。係の人が、「前のほうがすいています」という。図にあるように、この先Cブロックの前のほうと、Bブロックの横にも仮設トイレがある。私はもう一つ先のトイレを目指した。

3.8 トイレに入れない

しかし、前のトイレに着くと

「ここからは入れません。戻ってください。」

と係の人が叫んでいる。殺気立って文句を言っているランナーもいたが、私はしょうがねえなと思って、戻ろうとした。でもここは走路で、どんどんランナーが向かってくる。諦めてスタートしてしまおうも思ったが、ここは戻って用を足してからスタートしたほうが得だと判断した。

逆走するのは大変だった。最初の列に戻ってさっき前がすいていると言った係の人に、

「前にいったら入れなくて、ここまで戻れと言われたよ。」

と伝えると、係の人は

「えーー!」

と絶句した。

以前ならそうとういらついたと思う。でも今はごく平然に受け入れている。歳をとっただけなのか、東京羽田ヴィッキーズの選手でメンタルトレーナーでもある方からの教えのおかげなのかわからない。ずいぶん変わったものである。

3.9 トイレの列にやっと並ぶ

ようやく列に並ぶ。前の人はDeNAベイスターズのユニフォームを着ている。

「これ、今年の新しいユニフォームですね。もう買ったんですか」

私より年上の彼が着ていたのは、今シーズンから新しくなったユニフォームだ。背番号50、山本祐大選手のものである。川崎にお住まいで、大洋ホエールズ時代からのファンであった。私と同類である。山本祐大は私が特に応援している選手で、横浜マラソンでは右手首に山本祐大のリストバンドをして走った。今日もすればよかったと思う。

「あの時骨折しなければ、日本代表だったので、惜しいことをした。」

などと話し、山本祐大の応援歌を歌おうとした。でも、出だしが思い出せない。焦る。トイレの列が進まなくても焦らないが、祐大の応援歌がわかないのはまずい。途中からはわかるが最初がわからない。そうこうしているうちに順番が来た。今回も大量に出た。もうこれで大丈夫だろう。コースに戻ると、そこにはネットタイム5時間のペーサー率いる大集団が待っていた。

4.スタート

さきほどのトイレは進行方向左側で、市河麻由美さんがいるのは右側である。少しづつ右に寄りながら、スタートラインを通過する。台上の小池東京都知事と、歌手の西川貴教さんを見上げる。正確なところまで確認しなかったが、スタートロスは20分以上ありそうだった。すぐに市河麻由美さんを見つけて、

「市河さ~ん」

と手を挙げて声をかける。彼女も気が付いてくれて、

「おー、元気か!」

と返してくれた。マラソンの沿道からの声援でことのようにいわれたことはなく、どういう意味なのかちょっと戸惑った。

5.レース前半
5.1 スタートから最初の1kmまで

スタートはしたものの、道路はランナーで埋め尽くされていて思うように前に進めない。体感ではキロ7分より遅い。スロージョグペースである。これでは何時間かかるかわからない。

でも考えてみればネットで5時間のペーサーと一緒なのだから、キロ7分で走るのはちょうどいいペースなのだ。靖国通りに出るまでは、このまま流れにのっておとなしく走るしかない。

そうは思った。しかし前に隙間があき、無意識に追い越しにかかる。ジグザクに走り、次々と抜いていく。ちょっと無理すると接触してしまう。最初の1km通過タイムは6分31秒。まずまずだ。

5.2 やっと5km通過

靖国通りは両側全車線が走路でとても広く、調子に乗って追い抜いていく。いつもは最初の5kmぐらいは息が苦しいが、今日はそんなことはない。体も動く。それに、暑くないじゃないか!

実に走りやすい天候なのだ。これから暑くなるかもしれないが、この天気ならいいタイムが期待できる。風もほとんど吹いていない。日差しもあまりない。よし、今日の目標は一万人抜きだ。歌舞伎町を左手に見ながら颯爽と走り、次の1kmは5分48秒、その次は5分36秒と下り坂でサブ4ペースまであげる。

最初の5kmの手元計測のラップタイムは、次のようであった。

00-05km 6:31 5:48 5:36 6:48 5:37
最初の5kmは、30:20

5.3 5kmまでにまたトイレへ

あれ、3kmから4kmまで遅いじゃないか。どうした。

それは、なんとまたトイレに行ったかならのだ。走り出してまたもや溜まり始めてきた。そのまま走っていてもしばらくは大丈夫と思っていたが、コース図の青マル8のトイレを横目で見たら誰も並んでいないので、衝動的にコースを外れてトイレに向かったのであった。トイレまでぐるっと回っていくようになっていて、ここでのロスタイムは1分ほどだったが、これでかなり落ち着いた。ここまでトイレの話ばかりであったが、この先は出てこないのでご安心を。

5kmの通過は30分20秒。この20秒を少しずつ挽回し、平均キロ6分ペースに戻していこう。

5.4 5kmから神保町交差点まで

5kmを過ぎ、お濠を右に見ながら外堀通りを進む。靖国通りは靖国神社へ向かう道なので、右折してお濠を渡る。東京マラソンのコースは、右折せず直進する。直進すると道路の名前が変わり、外堀通りになる。靖国通りと外堀通りは、道幅が広く一見国道のように思えるが、どちらも都道である。また外堀通りは、環状2号線でもある。東京マラソンは東京都が共催しているので、コースが都道であるのは当然といえる。

左手に東京ドームが見えてくる。私は60歳で定年退職し、その後関連する協会で65歳まで勤務した。職場が駒込にあり東京ドームに近いこともあって、何度もベイスターズ戦や都市対抗野球を見に来たが、昨シーズンは一度もドームで野球観戦をしなかった。

水道橋で右折する。駒込から自宅のある多摩川大橋まで帰宅ランをしたときに走った白山通りだ。白山通りのこの部分は都道である。2回目の給水所は混雑していた。

白山通りを南下し、神保町の交差点へ向かう。神保町は書店とスポーツ用品店が多くあり私の好きな街の一つだ。交差点の手前で身なりを正し、サングラスを外す。

5.5 応援ありがとう

交差点を左折し、再び靖国通りに入る。ここに、応援団がいる手はずになっている。

まず最初に、つじかぜACの応援団に遭遇する。

つじかぜACからは16人が参加している。その中で私の持ちタイムは遅いほうから2番目で、スタートロスも大きかったので、応援団をずいぶんと待たせてしまったと思う。

続いて陸上競技多摩川クラブの応援を受ける。このクラブには高速ランナーが多く、私が通過するときにはもう次の地点へ移動したあとになると思っていたので驚いた。

さらに続いて、二子玉川走友会の応援団から声援を受けた。こちらはつじかぜACの友好クラブで知り合いもいる。私のことをわかってくれた方がいた。

こうして沿道から知り合いの応援を受けられる。これが東京マラソンのいいところだ。

5.6 10kmまで

神田須田町を左折して靖国通りから中央通りに出る。中央通りも都道であるが、この交差点から万世橋で神田川を渡るわずかな区間は、国道17号線である。今日初めて国道を走る。

このあたりでは余裕たっぷりに走っていた。周囲のランナーより速いので、どんどん抜いていける。前方にベイスターズのユニフォーム姿のランナーが見える。背番号は2。少しづつ近づき、横に並んで「牧、がんばれよ!」と声を掛ける。こりらを振り向いた瞬間に歌いだす。

牧選手応援歌

「鍛えたそのパワー  かっとばせ
 勝利をさあ目指せ  ホームラン!」

そして、「邪魔してすみません。」と謝って通り過ぎる。そのランナーも乗りの良いひとで、デスターシャをしてくれた。(デスターシャとは、牧選手がホームランを打った時に、ベンチ前で行うパフォーマンスのこと)

そうこうしているうちに、10km地点に到着する。

05-10km 5:53 5:34 5:49 6:05 6:02
10kmスプリットタイム 59:44

キロ6分ペースに対して、16秒の貯金ができた。絶好調である。

5.7 ありがとう つば九郎

10kmを過ぎ、御徒町付近で最初の折り返し点が来る。おっ、今度は背番号25だ。

「横浜の空高く ホームランかっとばせ筒香」

と前奏の部分を歌う。今回のレースでは、先ほどの牧選手のユニフォームが3人、筒香選手のユニフォームが3人、スタート前のトイレで会った山本祐大選手の合計7人しかベイスターズユニフォームに遭遇しなかった。目障りな読売巨人軍のユニフォームは見かけなかった気がする。そんな中で、圧倒的に多かったのが、東京ヤクルトスワローズの背番号2896であった。

つば九郎の中の人が亡くなったのは、2月16日のことだった。私はあまりの衝撃で言葉を失った。

私はx(Twitter)に「つば九郎に国民栄誉賞を」と絞り出してつぶやいた。

つば九郎はベイスターズファンからすればライバルチームのキャラクターであるが、私はベイスターズのキャラクターのスターマンより好きだ。

つば九郎のユニフォームやつば九郎グッズを見かけると、「つば九郎、ありがとう」と声をかけて追い越した。何度も言ううちに、熱いものがこみ上げてくる。それほどの存在だったのだ。

5.8 フラッシュバック

秋葉原の電気街に戻ってくる付近で、お祭りで神輿をかつぐような衣装で走っているランナーに出会う。足元は足袋(たび)だ。この瞬間に、小学校の運動会の前日に商店街の洋装店へ足袋を買いにいく場面を思い出す。フラッシュバックとは言いすぎといわれるなら、「今だから言える暗い過去」とでも言おう。(谷村新司のセイヤングより。昭和人間で失礼。)

私は今でもそうであるが、走るのが遅い。走るだけでなく、運動全般が苦手である。小学校の運動会の徒競走は、いつも「びり」だった。さらに嫌だったのは、シューズではなくその日だけ足袋を履いて走らなければならなかったことだ。

「足袋は走りやすいですか?」

「いや、クッションがなくて、足の裏が痛い。裸足よりはましな程度だよ。」

「小学校の運動会では、足袋で走りましたよね。」

「?????」

そんな経験はないようだった。聞いたこともない感じだ。お祭りの衣装なので足袋を履いているだけのようである。

「すみません、失礼しました。」

追い抜きざまに、話しかけたことを謝った。

5.9 運動会の足袋

私が小学生だった昭和40年代前半のころ、運動会の徒競走は足袋で走った理由は、諸説聞いたことがある。その中で一番もっともらしいものを紹介する。

裕福な家庭では高級な運動靴を履かせることができる。そうでない家庭は簡素なズックである。大きなハンディキャップである。そのため、平等を期すために全員裸足で走れとなった。そうすると今度は足の裏を怪我する児童が多発する。そのため、足の裏を保護するため、全員足袋で走れとなった。

この目的から、足袋は家計に負担がかからない安価なものでなくてはならない。そのため、この運動会用の足袋は使い捨てなのである。一度履いて走ったら、もう二度と使えなくなるような代物だったので、徒競走の本番一回だけのために前日に購入し運動会に備えた。リレーに選ばれた児童は2足用意する必要があった。

もともと走るのが苦手なのに、本番だけ異質のシューズを履かなくてはならないのが嫌で嫌でたまらなかった。そんなこともあって、足袋で走ったことより前日に買いに行ったことがフラッシュバックしてしまうのだ。

今の時代は裸足で走ったりワラーチで走るランナーもいる。意外と足袋もいいのかもしれないと思う。また一般的に裸足で行う組体操で、足袋を履く学校もあるらしい。お祭り用には、ナイキのエアーのようなクッション入りの足袋もあるとのことだ。

5.10 「2万年に1人の美少女」との出会い

12kmを過ぎ、神田駅を通過する。このコースで知らない道は全くない。13kmを過ぎ、日本橋を超える。その時前方に、赤いビブスの3人が目に入る。ビブスには「Official TV」とある。おっ、これは芸能人だ。女性である。スピードは遅く、すぐに追いつく。ちらっと横目でお顔を拝見する。

おっ、とんでもなく可愛い。

66年生きてきて出会った女性のなかで、一番可愛いかもしれないレベルである。私のタイプではないけれども、 とにかく可愛いのだ。私は走るスピードを落とし、「Official TV」の一人の耳元で囁く。

「この人は誰ですか?」

顔には、えっ、知らないのかと書いてある。

「AKBの、おぐりさんですよ。」

「おぐり、さんですね。」と念を押す。名前を間違えるわけにはいかない。

「はい、そうですよ。」

私は、おぐりさんに近寄り、2mぐらいの距離で、

「おぐりさん、頑張って!」

と声を掛けた。おぐりさんは、にこっと微笑み、お辞儀をしてくださった。

「オグリキャップのように速いですね。」

という余計なことは口にはださなかった。彼女のゼッケンはCブロック。このスピードでCブロックだったら、スタートの時はかなり危険だったと思う。

後で調べたところ、彼女は小栗有以さん(23歳)で、「2万年に1人の美少女」と呼ばれているそうだ。愛称は「ゆいゆい」とのこと。「おぐりさん」と呼びかけた瞬間に、彼女は、この人はファンじゃなく、私のことを知らない人だとわかっただろう。でもアイドルはそう思っても顔には出さないのだ。

「ゆいゆい、頑張って!」

と声を掛けたら100点満点だったと思うと悔しい。東京マラソンを走る芸能人は事前にわかるのだから、ちゃんと予習してこなくてはだめだ。

5.11 10kmから15kmまで

残念ながら、ストーカー走りでゆいゆいの後につくには遅すぎる。前に出て交差点を左折する。沿道には、「小栗有以」と書いてある幟を多数見かける。応援NAVIで追っかけているのだろう。

「今追い抜いたところだから、すぐに来るよ。」と幟をもつファンに声掛けをする。ゆいゆいに会って、自分のテンションもあがっている。AKBなら踊って歌うのだから、レッスンやステージが有酸素運動となって、マラソンのいい練習になるのだろうと思う。

反対車線にはトップランナーが走っている。男子の先頭はすでに通り過ぎていた。報道バイクと安藤友香選手が並走しているのが見える。彼女が女子トップなのかなと思う。競っている女子選手はいないようだった。

もう一度左折して新大橋通りに入る。ここも都道である。新大橋は隅田川に架かる橋で、そのまま進むと森下に出る道である。車で何度も走ったことがある。

10-15km 6:08 6:00 6:11 5:45 5:50
スプリット 1:29:38

うまい具合に、キロ6分ペースを保てている。

5.12 浅草

人形町を通り過ぎ、新大橋通りから左折して清洲橋通りに入る。ここも都道で、町の名前は浜町だ。清洲橋通りを少し進むとY字路があり、右斜め前の方向に進む。その先で国道6号線に合流する。

時刻は11時を過ぎた。男子トップはもうゴールしている頃だ。ここまでは気温が高い割には、比較的走りやすい天候だったが、しだいに体感的に暑くなってくる。給水所ではポカリスエットを飲むだけでなく、水をとって頭からかけたり、バンダナを濡らして首に巻くようになる。どうやら今日はトップランナーからサブスリーぐらいまでのランナーにとってはベストコンディションで、我々一般市民ランナーには過酷な天候になりそうである。

浅草橋、蔵前を通過する。この先は浅草だ。東京マラソンのコースの中で、最も盛り上がる場所に近づいてくるが、走るペースがだんだん遅くなる。

雷門に突き当たり、右折する。

東京マラソンのコースは、現在3代目である。2007年から2016年までが初代。2017年から2020年までが2代目、2021年からが現在の3代目である。

どのコースでもここは絵になる場所だ。浅草は初代コースでは28kmあたりだったが、現在のコースでは18km付近とまだ前半で、先が長い。

5.13 東京スカイツリー

正面に東京スカイツリーが見える。

この写真は、2023年6月9日にウォーキングした際に撮影したものである。

スカイツリーは電波塔で、無線の仕事をしていた関係で送信所としての興味がある。自宅のベランダから直接見えるので家は受信良好である。スカイツリーができる前の電波塔であった東京タワーも直接見える。

東京タワーからの電波も受信良好であったが、東京タワーから自宅を結ぶ直線の先に川崎総合科学高校の高い校舎が建ってから、反射波がアンテナの後ろから入り、ゴースト障害が起こった。その補償として実家はケーブルTVを引いてもらっていた。

電波は秒速30万kmである。自宅と校舎までは1km弱だ。往復2km。電波の届く時間差は0.00000666秒しかない。それなのに画面が2重になってしまうんだ。私は、運動、特に走るのが嫌いで、こんなことを考えるのが好きな少年だった。

5.14 東京スカイツリーの耐震構造

スカイツリーでさらに興味深いのは、その構造である。これだけの構造物なのだから、東京直下型地震が来ても倒れないよう設計されているはずだ。私は大学院で構造振動を研究したことと、60歳まで働いていた会社の隣の事業部で免振装置を作っていたことで、対振動構造に惹かれるのである。

東京スカイツリーのホームページにパンフレットのPDFがある。ここの10ページに構造の説明があるので、興味のある方は是非ご覧いただきたい。ここに出てくる心柱制振は、お寺にある五重塔の造りである。

この写真は、2022年に奈良マラソンを走った翌日に観光で訪れた法隆寺の五重塔である。世界で最古の木造建築と言われ、1400年もの間、数々の大地震を乗り越えてきた。

この五重塔の構造がスカイツリーの構造に似ていることは周知のことであるが、スカイツリーを設計したチームは、五重塔をまねしたわけではないらしい。しかし考えられないほどの長期間倒れずに立っている五重塔と同じ構造だというほうが、宣伝効果があるのではと思う。

1400年とは、とんでもなく長い。それに比べれば、どんなに可愛くても「2万年に一人の美少女」は言い過ぎだ。「千年に一度の美少女」でも、ちょっと言い過ぎの感じがする。(千年に一度は橋本環奈さん)

吾妻橋を横目で見ながら、国道六号線(江戸通り)を上野方向へ戻る。

5.15 20km前に辛くなる
吾妻橋
吾妻橋

まだ20kmにもならないのに、少々辛くなる。余裕がなくなってきた。左に曲がって蔵前橋通りに入り、蔵前橋を渡る。蔵前橋通りも都道であり、東へずっと進むと京葉道路(国道14号線)になる。20km地点が来る。

15-20km 6:09 5:54 6:10 6:02 6:06
スプリット 2:00:14

キロ6分ペースから14秒遅れている。

6. レース後半
6.1 問題の坂道

五重塔の耐震性能がいいのは、すでに壊れかけているからもう壊れないということらしい。木材が組合されているだけで、釘を打ってあるわけでもない。がっちり強固に造ってあるのではなく、ぐらぐらになっているから、逆に揺れても壊れないのだそうだ。まるで今日の私のマラソンのようだ。スタートラインを超える前から失速しているので、もうこれ以上遅れる心配はない。キロ6分ペースはすぐ取り戻せるだろう。

問題はここからだ。右に曲がって清澄通りに入る。もちろんここも都道であり、地下には都営12号線の地下鉄が通っている。大江戸線のことを今でもつい都営12号線と呼んでしまうのは、地下鉄を掘る工事に関係する仕事をしていた時期があるからだ。この先小刻みなアップダウンがあり、コース最大の難所が待ち構える。

私は多摩川河川敷を主な練習場所にしていることもあり、坂道が苦手である。しかし、2週間前に走った京都マラソンの坂道は苦とせず、サブ4で走れた。先ほどの法隆寺に参拝した前日の奈良マラソンも坂が多かったがサブ4で走れている。京都や奈良は自然の地形なりの坂道なので、私には走りやすいのかもしれない。それに対して清澄通りの坂は、川を渡るなどの人工的に造られた坂道である。

6.2 中間点通過

中間点通過。
スプリットタイム 2:06:55

天気も良くなってきて日差しが強く感じる。ぎりぎりキロ6分で走れるかどうかという感じだ。

道路の坂道は自動車が安全に走りやすいように設計されるものだろう。ランナーが走りやすいかどうかは設計基準にないと思う。蔵前橋のほうが大きな坂であるが、そのあとの高低図では大したことがように見える片道5回、往復で10回ある小さな坂が難敵である。トップランナーはどうなのかわからないが、私はコース上でここが一番難しい。

でもここは涼しい顔をして走り抜けなければならない。この先21.6km地点ドコモショップ森下店前に、つじかぜACの応援団が待ち構えているのだ。昨年はその場所で仲間を応援した。場所はよくわかっている。

6.3 正念場の森下で折れた心

森下の交差点が近づいてくる。ドコモショップの看板も視界に入る。私は一番歩道寄りに進路を変え、サングラスを外してキャップの上に乗せる。

ドコモショップを通過する。それらしい人影は見当たらない。応援場所を変えたのかもしれない。その先もずっと歩道を見ながら走る。

22kmの給水所まで来て私は悟った。

もう撤収した後なんだと。

私はメンタルが強いほうだと思っている。本番にも強い。でもこのときばかりは、心がボキッと折れた音が響き渡った。

6.4 20kmから25kmまで

22kmの給水所では水を飲みバナナを食べ、また水をとって頭からかけ、もう一つとってバンダナを濡らした。バンダナは寒いときはネックウォーマーになり、暑いときはネッククーラーになるので、とても重宝している。なんとか気を取り直して門前仲町を左に曲がって永代通りを東に進む。富岡八幡宮の前は多くの人出であったがマラソンとは関係ないようだった。すぐに折り返し門前仲町に戻る。門前仲町は30歳のころ仕事で何度も来た場所で懐かしい。

清澄庭園公園にエアーサロンパスケアステーションがある。2年前はここで止まってサロンパスを足にかけた。今日は心は折れたが足腰には異常がないので立ち寄らずに通過した。この辺りの坂は辛い。25km地点を通過する。

20-25km 6:06 5:58 6:16 6:10 6:21
スプリット 2:31:04

タイムは正直だ。応援団がいるはずだった21km-22km間は5分台で走っている。しかし、応援団を見つけられなかった22km以降は、いっきにラップタイムが落ちている。25kmの地点で自分の感触では4時間20分では走れるだろうと思っていたが、後から考えるとこのときにすでに脳や体はこのレースを諦めてしまったと思う。

6.5 25kmから30kmまで

それでも、この先27.3kmの森下の交差点に、つじかぜAC応援団がまだいるかもしれないと、いちるの望みを持っていた。注意深く見たが、やはりいなかった。今回は期待が薄かったのでショックはない。

朝、Cブロック脇のトイレでお会いしたベイスターズユニフォームのランナーに追い越される。もう一度山本祐大の応援歌を思い出そうとするが、どうしても思い出せない。ベイスターズのユニフォームランナーに向かってその選手の応援歌を歌うのは、自分を鼓舞するためでもある。最後の部分の「ハマの未来を担え、山本祐大」はわかるのだが、ここだけ歌うのは変だ。それに、走りながら歌えるほどの余裕もない。

左折してすぐ先にトイレがある。2年前はここに寄った。ボランティアの方に、「多摩川から来たんですね」と言われたことを思い出す。多摩川クラブのシャツだったのだろう。今日は東京羽田ヴィッキーズの「準備はいいか?」Tシャツで、沿道からなんども「準備はいいか?」と声を掛けられた。今日はこの先トイレにいくことはないだろう。全部汗になっている。

蔵前橋を渡り、もう一度左折して国道6号線に戻る。しばらく走って30km地点に到着する。

25-30km 6:42 6:24 7:07 6:29 6:52
スプリット 3:04:37

7分をこえた27km-28km間のエイドでは、カロリーメイトゼリーをいただいた記憶がある。多少は元気になったような気がした。

6.6 湿度が低い!

30kmのエイドステーションでは、番号が1,2と振ってあるテーブルにポカリスエットは無かった。3,4のテーブルにもない。5,6のテーブルでようやく飲むことができた。水もとって頭や体にかける。さっきも掛けたが、すぐに乾いてしまうのだ。

今日は湿度が低い!

確かに気温が高くなってきているが、湿度が低く汗やかけた水がすぐに気化するので、体の中に熱がこもらない。

30km通過時刻は12時38分であった。13時時点で東京の気象状況をあとで調べると、気温20.0℃、湿度32%であった。気温は高いが、実はそれほど悪い環境条件ではなかったのだ。

横浜マラソンの13時時点は、気温22℃、湿度72%だった。その時に比べれば、はるかに恵まれている。キロ7分で走るには最適な天候ともいえるほどだ。

6.7 紙コップはどこへ行った

30kmのエイドステーションでは、「この先紙コップがないので、捨てないで持って走ってください。」とボランティアの方が大声で叫んでいる。何を言っているのだろうと思いながらも、私は普通に捨てて走り続けた。

清洲橋通り、新大橋通り、永代通りと、午前中に走った道を戻る。日本橋の交差点を左折して、中央通りに入る。中央通りという名称で都道だが、この道は東海道でもあるので国道1号線であり、国道15号線でもある。京橋のスターツ本社前を通りすぎる。給水所ではスターツの職員がボランティアをしていたが、知り合いはいなかった。給水所の水のテーブルには紙コップがない。手をあわせて差し出し、ペットボトルから直接注いてもらって、口に含んだ。そういうことだったのだ。

こんな状況だったので、沿道の私設エイドで冷えたコーラをいただいたときは、本当にありがたい気持になった。

6.8 35kmまで 

午前中に出会ったベイスターズ牧選手のユニフォームランナーに追い付かれて、「今日はきついですね。」などと少し話をする。私が抜いて前を走っていたが、追い付かれたのだ。でも彼も失速していて、私の前には出なかった。

朝Cブロックのトイレで会った山本祐大ユニフォームのランナーにも再会した。「スタート前のトイレで会いましたね。」と話しかけられた。

お互い失速していて、この先もずっと抜きつ抜かれつの状態だった。白熱のデッドヒートと言いたいところだが、キロ7分なのでそんな感じは全くない。さながら、ウルトラマラソンの後半のような雰囲気で、みんな走る仲間であった。

銀座通りに入る。といってもここは中央通りなのであり通称で銀座通りともいうだけで同じ道だ。銀座一丁目から四丁目まで進み右折する。有楽町の前のこの道は晴海通りである。日比谷の交差点を左折して、日比谷通りに入り35kmを通過する。

30-35km 7:11 6:30 7:24 6:51 6:49
スプリット 3:39:22

1km毎に手元でラップタイムを計測しているが、それを見ても「だから何?」という感じだった。

6.9 何が楽しいんだろう

35kmを過ぎて日比谷通りを南下する。

「こうして走って、何が楽しいんだろう。」

ふと、こんなことを考えた。

トイレの長い行列でうんざりし、「2万年に1人の美少女」に声を掛け、ベイスターズのユニフォームを見ては応援歌を歌ってきた。沿道の応援に感謝し、約束の場所に応援団が居なくて心が折れたりしてきた。これらはすべて、外界を認知して、外に向かって気持ちが動いたものだ。

キロ6分ペースで走り切れるかなとか、10,000人追い抜くんだというのも、他の人が私をどう見るかということにとらわれている。

しかし、「こうして走って、何が楽しいんだろう。」と思うのは、意識が外ではなく、自分の中に向かっている状態だ。

6.10 ランナーズハイ

このままどこまでも走っていける。不思議な感覚だ。

皇居で折り返して新宿まで走って戻りたい。

札の辻交差点で国道15号線(第一京浜国道)にちょっと入って折り返し、すぐに日比谷通りに戻る。ただ前に向かって足を出している。良く知った道の視界が目に入ってくるが、景色をみても何か感じることはない。応援団を待ちわびることもない。

私はただ前をみて走っている。心は穏やかだ。東京の道路を走らせてもらえてありがとう。

意識が自分の中に向いている。これがフロー状態なのかなと思う。

6.11 40km通過

40kmのゲートが見えてきた。

つじかぜACの幟が目に入り、突然我に返る。

仲間からの声援をうけ、40kmのゲートを通過する。応援してくれてありがとう。東京の道路を走らせてもらえてありがとう。

35-40km 7:46 6:59 7:12 7:39 7:07
スプリットタイム 4:16:05

6.12 フィニッシュヘ

日比谷交差点を右折して41km地点が現れ左折する。石畳の丸の内仲通りに入る。

コース図40-42.195km
コース図40-42.195km

道路の両脇は大観衆で、外国人が大声で盛り上がっている。外国人ランナーもそれに合わせて大騒ぎだ。周りのランナーはここにきてペースをあげ私はどんどん抜かれてしまう。でも私はマイペースで、一歩一歩前に進む。

42kmを過ぎ左折して、最後の直線に入る。この最後の部分だけ私が名前を知らない道路である。「行幸通り」というらしいのだが、「ぎょうこうどおり」なのか、「みゆきどおり」なのか、わからない。

正面に皇居をみながらフィニュッシュゲートを通る。振りかえってキャップを外し、コースに向かって礼をする。東京マラソンを走らせてもらってありがとう。顔をあげた先には東京駅が見える。

40-42.195km 7:32 7:20 1:28
グロス4:55:47、ネット4:32:21
セカンドワースト記録

2年前は脚を痛めてしまいあまり周りを見ることはなかった。あらためて、絵になる場所をゴールにしたんだなと思う。

途中からどうでもよくなったのだけれど、後で調べたらスタートからフィニッシュまで順位を6,793位上げていた。1万人抜きはできなかったが、順位を上げた数はたぶん自己ベストだろう。前半は本当に気持ちよく抜きまくって走れていた。

6.13 フィニッシュのあと

ゴール後に仮設トイレに入って尿の色を確認した。脱水症状にはなっていない。あれだけトイレに通うほど水分を体に入れてスタートして、結果的に良かったのかもしれないと思う。足が攣りそうになる気配もなかった。

完走メダル、ドリンクなどを受け取り最後にポンチョをもらう。ポンチョは体にかけずに、もらった袋に畳んでしまう。そして私は大手町に向かって走り出した。このあと東京羽田ヴィッキーズの試合があるのだ。

6.14 フロー状態

レース中にフロー状態に入れたのはいい体験だった。ランナーズハイだったと言ってもいいだろう。

フロー状態とは、スポーツ選手が究極に集中して高いパフォーマンスを発揮できる精神状態として知られている。バスケットボールでは、たとえば連続して何本も難しいシュートを決めていく状態で、ゾーンに入ると表現される。私の胸にサインをしてくれた本橋菜子選手がゾーンに入ることを、元日本代表のトムホーバスヘッドコーチは「ナコタイム」と呼んでいた。ゾーンに入れば大活躍できるのだか、ゾーンに入るにはどうしたらよいかが難しい。

スポーツに限らず、日常の仕事においてもフロー状態に入ることができればパフォーマンスは上がる。「スラムダンク勝利学」を書かれた辻秀一氏は、これを機嫌がいい状態と呼んでいる。でも入り方がわからない。

このようなことを私に教えてくださったのは、東京羽田ヴィッキーズの千葉歩選手である。彼女はスポーツメンタルコーチの資格を持っていて(MCS認定メンタルコーチ)、SNSを通していろいろ教えてくれる。私の人生に大きな影響を与えてくださった恩人である。

次の写真は、2024年10月13日の試合でMVPをとったときのもの。(私が撮影したもの)

7.ヴィッキーズ優勝おめでとう
7.1 急げ!

大手町のサンケイビルで荷物を受け取って更衣室へ向かって走る。ボランティアの方が「すごく元気」と声を掛けてくれる。速攻で着替え足早に東京駅に向かう。駅の売店でコーラを買って一気飲みする。

帰宅してお風呂に入り、カップヌードルを食べて急ぎ大田区総合体育館へ向かう。東京羽田ヴィッキーズの最終戦は17時からだ。先週優勝を決めたとはいっても、この試合は見逃せない。

普段は自宅から会場まで3kmほど歩いていくが、急ぐので今日は多摩川線に乗って蒲田駅に出た。蒲田駅からタクシーに乗ろうしたが、1.2kmしかないのにそれはちょっと無駄使いかなと思って歩き出す。信号が変わりそうになりダッシュした。ここでこれだけ走れるならなんでもっと頑張れなかったのかと思ったりもするが、ヴィッキーズはマラソンとは別腹なのだ。大田区総合体育館に到着したのは試合開始してから5分後であった。

7.2 試合会場に到着

入り口でヴィッキーズのスタッフシャツを着ている女性に、いきなり

「マラソンはどうでした?」

と聞かれる。彼女は私の知らない人だ。

「いやあ、ちょっとうまくいかなかったです。」

と返事して席に着く。私がヴィッキーズのTシャツやユニフォームでマラソンを走ることはヴィッキーズ球団内では有名なので、x(Twitter)を見てくれたのかなと思う。最近はヴィッキーズを背負って走っているような気もしている。

7.3 ハーフタイムの出来事

ハーフタイムになって、いろいろな方から

「お疲れ様でした。でもこのあとはヴィッキーズを全力で応援を。」

などと言われる。どれくらいで走れたか聞かれて、

「4時間半もかかっちゃったんです。」

というと、

「え、5時間かからないんですか。速いですね。」

と驚かれた。確かにバスケットボールを応援している私しか知らない人からすれば、私がフルマラソンを走るようには見えないだろう。いままで一度も話したことがない人から、

「友達の応援で沿道にいたので応援NAVIで(バリーさんのことも)見ていましたが、走るところは見つけられませんでした。」

などといわれ、ありがたいなと思う。こういうところは、東京マラソンの良さだ。

7.4 最終戦は大接戦

試合はずっとリードしていたが、4Qに一度は逆転され大接戦になった。最終戦なので、点差がひらけば今季限りで引退するかもしれない選手や、普段は出場機会がほとんどないまだ大学生の新人が見られると期待していたが、この展開ではそのような余裕はない。レギュラーメンバーがずっとプレーを続ける。そのあとヴィッキーズは、皆がゾーンに入っているかのように3Pシュートを連続して決め、突き放す。

7.5 引退の時

残り2分ぐらいでかつてのエース、今は控えにまわっている選手が出てくる。そのほかの4人はレギュラーメンバーのままだ。この瞬間にやっぱり引退するんだと察し、残りの時間はその選手だけをカメラで追った。試合はそのまま逃げ切ってヴィッキーズは今季22勝3敗という驚異的な成績でシーズンを終了した。

試合後ファンの前で挨拶するときに彼女は泣いていた。たぶんそうなのだろうと思う。

多摩川の土手を走っていて、ばったり彼女とお会いした日のことを思い出す。

市民マラソンランナーにも引退するときが来る。大田区総合体育館からの帰り道、山本祐大ユニフォームのランナーのことを思い出す。私より明らかに年上だった。私ももう少し走っていたい。

山本選手応援歌


「期待を背負い 頂き目指し ハマの未来を担え 山本祐大
 かっとばせー ユウダイ!」

なんだ、歌えるじゃないか。

今日の東京マラソンでフルマラソンの完走は77回となった。東京マラソンの新コースはちっともうまく走れない。でも人生最後に走るマラソンは、東京がいいなって思う。東京は走っていて楽しい。

8. 落とし穴は「経口補水液」
8.1 「経口補水液」の正しい飲み方は

今回の東京マラソンを振り返ってみると、当日の予想気温に気をとられて湿度をチェックせず、必要以上に水分をとってしまったことが、最大の失敗の原因であることは明白だ。今回レース前にスポーツドリンクではなく経口補水液と経口補水ゼリーにしたのは、脱水症状や熱中症を予防するためである。前日も水分補給として、経口補水液を飲んでいた。経口補水液は体に吸収され尿になりにくいので丁度良いと思っていたのであった。

バスケのあと帰宅してから、経口補水液のとり方がよくなかったのかなとネットを調べた。

そして驚愕の事実を知ってしまう。詳しくは以下を参照して欲しい。

「脱水症状がある時に飲むもので、熱中症にならないよう、予防のために飲むものではない」
政府広報オンライン https://www.gov-online.go.jp/article/202502/radio-2729.html より

Q:健康な場合に飲んでも大丈夫ですか?
A:オーエスワンは、脱水症のための食事療法(経口補水療法)に用いる経口補水液です。脱水症でない方が、普段の水分補給として飲用するものではありません。
大塚製薬工場HP https://www.os-1.jp/ より

他にも、経口補水液の飲み過ぎによる弊害もたくさん報告されていた。少量ならよいのだろうが、レース前に大量摂取すると、バランスが崩れてしまうのかもしれない。

8.2 次にむけて

他のレースでもスタート前にちょっと飲むことはあるが、多くは飲まない。荷物としてボトルをあずけて、レース後に飲むことが多い。レース後は脱水症状気味の場合が多いので飲んでも良いと思う。東京マラソンはペットボトルを預けることができないため、ついペットボトルの経口補水液を全部飲んでしまった。貧乏性が災いしたのである。スタートまで時間があるのでジュースや経口補水液セリーまで口にしてしまった。これが大きな反省点である。

77回も完走して、まだ勉強することがたくさんある。

勉強といえば、次に東京を走るときには事前に芸能人ランナーも調べよう。次回は「10万年に一人の美女」に出会えるかもしれないからね。

9. 記録など

以下は、応援naviより

以下は、東京マラソンHPより

東京マラソン2025記録証
東京マラソン2025記録証

(了)

投稿者

バリー

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