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次の観光を兼ねたマラソン遠征はどこにしよう。行ったことがない街。観光地の近く。景色がよさそう。今年のNHK大河ドラマは「光る君へ」か。なら、2024年はびわ湖かな。

2024年3月10日のびわ湖マラソン。この大会にふるさと納税でエントリーしたのは半年以上前のことだ。エリート選手のびわ湖毎日マラソンは私には無縁であった。でも2023年から市民マラソンになり、それならぜひ走ってみたいと思っていた。マラソン大会だけでなく、近隣の観光も楽しそうだ。
2024年に入ってから体調は好調である。2024年1月28日の勝田マラソンは最後に失速してしまったが、グロス4時間1分46秒、ネット3時間58分7秒とまずまずの結果を残すことができた。65歳になってからここまで3レース連続してネットタイムはサブ4である。
勝田後は疲労を回復させ、びわ湖マラソン3週間前の2月18日に青梅マラソンで30km走って調整し、本番を迎える計画であった。


2月の始めに東京は雪が降り積もった。わたしは賃貸住宅の大家さんとしての義務感から玄関前の雪かきをして、ぎっくり腰を起こしてしまった。すぐに向かった整形外科では、走るのはしばらく控えるように忠告される。しかし私は無視して、調整のためびわ湖マラソン3週間前の青梅マラソン30kmを走った。タイムを狙うようなことはせず、フルマラソン4時間のペースで走った。最後までペースが落ちることはなく、なぜか腰に痛みも出ずに、サブ4ペースぴったりの2時間49分21秒で完走できた。しかし帰りの中央線で痛くて立ち上がれなくなり新宿駅で降りることができず、東京駅まで行ってしまうほど腰は悪化した。定番の3週間前の30km走を実施したことにはなったが、その後練習は全くできなくなった。
整形外科でトリガーポイント注射を打ってもらう。腰痛の原因は背中の筋肉が固まっているのが原因だからと背中をほぐしてくれて少しは良くなってくる。が、すぐにフルマラソンを走れる状態でないことは、自分なりに理解していた。でも、青梅マラソン前よりは良くなってきているはずだと自分に言い聞かせる。
結局青梅以降2週間はほとんど走らずこれでは腰が良くなっても42km走れないと考え、一週間前にハーフの距離をLSDの感じで走った。キロ7分ペースをキープできて2時間半で走れたので、フルマラソンで5時間を切るのは難しくても、制限時間は6時間あるので完走は可能かもしれないと思う。しかし本番で無理して走ってしまい腰を悪化させると、しばらく走れなくなってしまう恐れが充分にある。
昨年の2023年は右脚の付け根を痛めていたまま東京マラソンを走った。最後の方は体をまっすぐに出来ず右側に倒れそうになりながらなんとか完走したが、右腸骨骨挫傷(疲労骨折)で数か月走れなくなってしまったのだ。びわ湖を走れてもそのあと走れなくなるのは避けたい。ホテルを無料でキャンセルできる3日前まで参加するつもりで行動した。
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ふるさと納税には、抽選せずに出場権だけを得られるもの、すなわち寄付とは別にエントリー代は通常通り支払うマラソン大会と、ふるさと納税にエントリー代も含まれているものがある。びわ湖マラソンは後者であり、参加賞のTシャツは事前郵送で受けとり済みである。電車の切符は買っていない。ホテルをキャンセルすれば、出費2000円でTシャツをもらえて、金銭的に損をすることはない。すでに出費しているからという理由で無理して行く必要はない。
びわ湖行きを迷う理由には、バスケットボールの試合日程にもあった。地元にプロチームがあるので、バスケットボール観戦も趣味にしている。

このポスターの全選手直筆サイン入りを職場に飾っている
びわ湖マラソン前日の土曜日は、大田区総合体育館で男子のアースフレンズ東京Z対横浜エクセレンス、女子は東京羽田ヴィッキーズの試合がダブルヘッダーで組まれている。私はこの3チームのファンクラブに入っており、一度に同じ会場で見られるのはこの日が初めてのことで、たぶん今後ないと思う。
東京羽田ヴィッキーズのホームゲームはシーズンシートを確保しているので、コートサイド中央最前列の席のチケットが手元にある。購入すると7〜8,000円ぐらいする貴重なチケットである。
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私は東京羽田ヴィッキーズの本橋菜子選手を「推し」ている。ナコ又はナコさんと呼ぶ。女子のバスケはどんなものか試しに見に行ってみようと試合会場に行き、ナコさんのプレーを見て、そのプレーに一目ぼれした。その時はまだ控えのポイントガードであったが、ヴィッキーズのキャプテンになり、日本代表に選ばれ、アジアカップでMVPに選ばれるまでになった。昔の言い方なら東洋一のバスケ選手になったのである。そのあと日本代表合宿中に前十字靭帯損傷という大怪我を負ってしまうが、ぎりぎり東京オリンピックに間にあい、銀メダルを獲得した。あの日ナコを見染めた自分が素晴らしいと思う。

バスケのユニフォームはノースリーブの速乾性素材で、マラソンにはうってつけなので、何度もナコのユニフォームでレースに出ている。今回のびわ湖マラソンはノースリーブが似合うスピードでは走れそうもないのでナコのTシャツで走る。レース後半苦しくなった時は、ユニホームの背番号12の部分や、直筆サインのある布地をぐっと握りしめる。これでまた頑張れる。ナコさんも、私がナコさんのサイン入りシャツを着てフルマラソンを走ることは知ってくださっていて、あるとき私が彼女に次の試合は頑張って欲しいというようなことを言った返事に、私に「マラソン頑張ってください。念を送ってます。」と言ってくださった。私はその言葉を胸に42km走るのである。
びわ湖行きを迷う理由はさらにもう一つあった。びわ湖の翌日は3月11日、東日本大震災が起きMUZA川崎シンフォニーホールの天井が落ちた日である。幸い平日の日中で人的被害は無かったが、改修工事のためしばらくコンサートが出来なくなった。そのことを記憶に留めるためもあるようで、MUZA川崎シンフォニーホールでは毎年3月11日に被災地復興支援チャリティ・コンサートが開催される。定年退職してようやくこのコンサートに行けるのでびわ湖マラソンのエントリー前にチケットを買ってしまっていた。1階最前列の席である。
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私は、予定が重なったとき、迷わないように優先順位を決めている。一番は自分を含めた家族の健康。急病などがあればその対応が第一である。二番目は冠婚葬祭。冠婚葬祭が重なったときは、冠・婚・葬・祭の順番である。そして三番目は自分が走るマラソン大会。MUZA川崎シンフォニーホールのコンサートと本橋菜子選手が出場するヴィッキーズの試合は私にとっては特別に大切なものである。しかし制限時間内で走れる見込みがあるのならマラソン大会を優先することに迷いはなかった。
最終的にびわ湖に行くことを決めたのは、3日前の3月7日にキロ7分半で5kmほど走ったあとである。このぐらいのペースなら42km走れると思い、びわ湖に行くことにした。せっかくなので、「目標は自己最悪記録の更新とする」とじょぐのネットワークに書いた。
私のフルマラソンワースト記録は、
2015年3月15日第3回古河はなももマラソン 4時間39分10秒(N)
である。このレースは某女性ランナーのペーサーをして5時間切りを目標にしたときで、単独で走ったレースとしては、
2020年10月24日第8回多摩川季節のめぐみマラソン 4時間27分34秒(N)
がワーストである。新型コロナウイルス禍により大きなレースがなく、二子玉川で開催された小規模な大会であった。同じ年の10月3日に微熱と頭痛があり風邪薬を飲んでフルマラソンに出走したが、25kmで生涯初のフルDNFになり、それから復活できないまま二子玉川で走った思い出がある。今回は一気に5時間を突破しようと思うが、まだフルマラソンでは経験したことのない「関門閉鎖でバスに収容される」経験を積むのもよいかなとも思った。
3月7日、走ったあと多摩川河川敷にあるぶた公園に立ち寄った。私はよく神社を参拝するが神にお願いすることはない。神社は神に誓う場所と考えているからだ。ぶた公園に行ったのも、困ったときのぶた頼みではない。ぶたに「安全第一の走りをする」と誓うためだ。びわ湖を走って腰痛が悪化し、翌日朝起きて観光が難しそうな場合に直接コンサートに行けるよう、MUZA川崎シンフォニーホールのチケットも荷物に入れることにした。

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行くかどうか迷いながらも、観光先は検討していた。どこにいくかWEBで検索したり図書館で借りてきた観光ガイドブックをめくって考える。この時間もマラソン遠征の楽しみだ。調べるとびわ湖マラソン前日はちょうど「びわ湖開き」の日に当たっている。イベントなどもいろいろある。船に乗るのも魅力的であるが、自宅を早朝に出発するのは避けたいのであきらめた。
ホテルは南草津駅前で、そこを拠点として行きやすい所を探し、決めたのは「石山寺」である。びわ湖開きのツアーの行先に石山寺があり、WEBで調べると「源氏物語 紫式部ゆかりの花の寺」とあり、境内では「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」が開館中とあった。あまりにもベタなところとも思ったが、観光旅行とはそんなものと割り切る。ガイドブックの関連ページをコピーする。荷物になるので本は持っていかない。

私は大河ドラマは見ない。というよりTVドラマは全く見ず、スポーツ中継とクラシック音楽番組ぐらいしかTV放送は見ない。ニュースには悲惨で目を覆いたくなるものや、大谷翔平がホームランを打ったという当たり前の出来事で見る価値がないものも多いので、全部見るのは時間の無駄だ。ニュースが放送されたあと、数時間遅れになるが、見逃し配信で見たくないニュースを飛ばしながら見るのが時間の節約になる。NHKラジオのニュースをポッドキャストで聞くこともよくある。現役を引退し通勤しなくなってリアルタイムでニュースを知らなくても困ることはない。日本経済新聞は毎日全ページ見るので、翌日には情報を得られる。得られても情報のほとんどはしばらくすれば忘れてしまうのだから、情報収集に時間をかけても仕方がない。自分に有用な情報だけを選び知識として覚えればよい。「光る君へ」は大河ドラマのタイトルであることだけ知っている程度だ。
が、大河ドラマのオープニング曲は現役売れ筋の日本人作曲家が作り、NHK交響楽団が演奏するので関心があり、最初の3分間だけTV放送を見ることはある。「光る君へ」のオープニングはピアノ協奏曲であり、作曲は冬野ユミ(とうのゆみ)、ピアノは反田恭平、広上淳一指揮NHK交響楽団の演奏である。冬野ユミさんのことは良く知らなかったのでWEBで調べた。反田恭平さんは少し前までは私の一押しピアニストだったが、ショパンコンクールで2位に入るという快挙をなしとげてとてつもなく有名になってしまい、推しているとは恥ずかしくて言えなくなった。広上淳一さんは私と同学年の指揮者で、私と同学年ということだから山口百恵さん、森昌子さん、桜田淳子さんと同学年である。桜田淳子さんの熱烈なファンで、TV局の前で出待ちし、タクシーで追っかけて自宅までついていったというエピソードの持ち主である。このように音楽には興味があるがドラマには関心がない。

でもせっかく「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」へ行くのだから、多少は予習しておいた方がよいと思い、ここはひとつ源氏物語とやらを読んでみようと図書館へ足を運んだ。読書は私の一番の趣味なのである。
源氏物語は紫式部が約1000年前に書いた作品で主人公は光源氏だとしか知らない。私は理系だったので、高校生のとき古文の勉強はほとんどしなかった。日本史も選択しなかった。古文も日本史も理系学部の入試にはないのでカリキュラムがそうなっていたのは理解できなくもないが、理系の人間が歴史や古文を学べないのは理不尽だと思う。私は数学や物理などが得意で理系に進むのは当然だったが、本を読むのは今でも好きだ。高校生の段階で科目を絞るのはどうかと思う。世界史は選択できたが、受験に関係ない科目で記憶する必要もないので、試験の点数は悪かったけれど気楽で楽しかった。
私が高校生であった1970年代は、文系重視だったように思う。就職した1980年代も、会社で大きな顔をしていたのは文系出身者が多く在籍している職場の人たちであった。日本の歴代内閣総理大臣で理系学部出身者は、鳩山由紀夫と菅直人の2人しかいない。(鈴木善幸も理系といえなくはないが) 1990年代に入りバブル崩壊後、しだいに文系が軽視されるようになり、デジタル社会に変わると、特にIT分野では人材不足になり、政府もデジタル人材を増やそうとしている。こうなってくると今度は理系人材があふれてきて、文系重視に戻りそうな予感もする。
理系とは言っても、枕草子の出だしが、「春はあけぼの。 やうやう白くなりゆく山ぎは、・・・」とか、方丈記が、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 」で始まることは知っている。徒然草の「つれづれなるままに、日暮らし、硯すずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」は、私のブログそのものだ。しかしなぜだか源氏物語の出だしは覚えていない。還暦を迎えた年の高校の同窓会で40年以上ぶりに会ったクラスの女性に、私がぶら下げている名札を見て、「梅野君って、数学が得意だった梅野君だよね」と言われてこそばゆい思いをしたのであるが、このようなガチガチな理系の私の人生には、古文と源氏物語は不要なものだと切り捨てるしかなかったのであった。
そんな私でも、文語体を使う場面がある。横浜スタジアムでベイスターズが得点した時と勝利した時、応援団とともに「されば港の数多かれどこの横浜にまさるあらめや」と歌う。TV中継で流れたこの曲を聞いた横浜生まれの妻が、なんでここで横浜市歌を歌うのかとつぶやくのを聞いて、何の曲なのか理解した。妻に聞くと、横浜市立の小中学校では毎週横浜市歌を歌うので今でも覚えているという。「この横浜にまさるあらめや」は、「この横浜よりまさる(港が)あら・め・や。」「あら」は「あり」の未然形(ラ行変格活用)で、「しかももとの水にあらず。」の「あら」である。次の「め」は、推量の助動詞「む」の已然形、「や」は反語のかかりむずび。現代語に訳すと「この横浜よりすぐれた港があるだろうか、いやないだろう」となる。ちなみに作詞は森鴎外である。
たった一行を理解するのにこんなに大変なのだから、源氏物語を原語で読もうなどとは思わない。現代語訳があるはずだ。そういえば、私が大学生の時に人気のあった大和和紀の「あさきゆめみし」という漫画は源氏物語だった。
図書館には何種類もの現代語訳源氏物語があった。しかしどれも何分冊もあり幅で20cmぐらいある長編のため、びわ湖マラソンまでに読めるようなものではなく諦めた。しかしその横には源氏物語の解説本がいろいろとあり、その中のひとつ、瀬戸内寂聴「寂聴と読む源氏物語」を手に取った。瀬戸内寂聴さんは源氏物語の現代語訳版を出版した一人で、なかをめくると、講演でしゃべったことを文字に起こしたものと知り読みやすそうだった。もう一冊「光源氏に迫る」という宇治市源氏物語ミュージアムが編集した本も合わせて借りた。

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源氏物語の主人公は光源氏であることぐらいは知っていても、では苗字が「光」で名前が「源氏」なのだろうか。それはおかしい。姓が「源氏」で名が「光」ならわからないでもないが、英語のように名を先にいうのはおかしい。そんなことを疑問に思ったことすらなかったが、「光源氏に迫る」は、まず光源氏の名前についての説明から始まっている。姓が「源氏」で、名は不詳。「光」はニックネーム。「光る君」と皆が呼んだという設定で、源氏物語は書かれている。平安時代は階級社会であり、自分より高貴な人物は本名で呼ばないのが礼儀なので、本名は出てこないそうだ。このようなことにいちいち納得しながら、読み進める。
並行して、「寂聴と読む源氏物語」も読む。第一章「源氏物語が生まれるまで」には平安時代の天皇を始めとする時の権力者の結婚事情が紹介されている。一夫多妻のため、天皇には何人も御妃がいるのだが、結婚する前に顔をみることができない仕組みになっている。貴族の女は男に顔を見せない。顔を見せることは肉体関係をもつことと同義である。男性からすれば外見で相手を決められず、送った和歌の返しの和歌の出来具合で女性を判断しなければならない。私は外見ではなく書かれた文章で相手を判断する癖があるので、実に平安時代向きだ。顔をおいそれと見られない平安時代の男の趣味は「のぞき」だったとあり、光源氏がのぞきで見染めたのが「紫の上」だそうだ。
返歌が届いても、相手の女性が詠んだものかどうかわからない。女性の中には和歌が得意でない人もいるだろう。代筆もあるだろうし、代筆とまではいかなくても添削してもらったかもしれない。
光源氏からラブレターをもらった女性が紫式部より身分が上とすれば、紫式部先生に代筆を頼めるはずだ。頼まれた紫式部は、自分の地位の都合で「貴方から和歌をいただき嬉しく思います」という内容を書くしかないが、もし紫式部が光源氏に想いを寄せているとしたらどうだろう。二人には関係して欲しくないと思うにちがいない。優しい人好しではない紫式部が代理で、「貴女から和歌をいただき、嬉しくて、道に倒れて貴方様の名前を呼び続けています」という内容を書いたとしよう。和歌が得意ではない依頼主の女性は、「死ぬほど好きなんです」と書いてもらったと思うかもしれない。が、和歌の能力に長けている光源氏はどう読み取るのか。「道に倒れて名前を呼び続ける女性を想像すると怖い。この人はやめておこう。」と思うのだろうか。
代筆を紫式部のライバルであった清少納言に依頼したら、どんな返歌になるのだろう。「私を海に連れて行って」とでも返すのであろうか。これは「ユーミンの罪」と「平安ガールフレンズ」を書かれた酒井順子さんにぜひお聞きしたいところである。
現代では女性天皇を認めたらどうかとか、女系でも天皇になれるようにしようかなど議論されているが、一番簡単な解決方法は、平安時代に習い一夫多妻制にすることだ。皇室はそれが前提で作られたシステムなのだから、と無責任に思いながら本を読み進める。
「誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ」林真理子×山本淳子という対談集も借りて読んだ。瀬戸内寂聴さんとは視点が違って面白い。「あなたはどのタイプ?『源氏物語』女君テスト」という部分もある。これは女性用のテストなのであるが、私の結果は六条御息所(ろくじょうみやすどころ)タイプで、「本当はすごく情熱的なのに、人目を気にして気持ちを押さえたり、かっこよく装う」とあり、ラッキーアイテムは伊勢神宮のお守りとあった。伊勢神宮には行ったことがないので、みえ松坂マラソンにエントリーし、翌日観光で訪れたいと思っている。これで行く理由ができたというものである。なお、源氏物語に出てくる女性のなかで、私の好みは花散里(はなちるさと)ということにしておこう。寂静によれば、癒しタイプとある。源氏物語にふれるうちに、しだいにマラソン大会より、光源氏や紫式部への興味が大きくなった。

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天気予報は3日間とも晴れ。マラソン前日の計画はGoogle documentに書き込んである。Google documentにいれておけば、スマホでもiPhoneでも見られるし、書き込めるし、音声入力もできるので愛用している。お金をどこでいくら使ったかも記録している。
3/9 Sat. マラソン前日
9:04矢口渡発 9:38新横浜着
9:51新横浜発ひかり637号11:53米原着(予約済み)
11:59米原発快速 12:47南草津着 アーバンホテル南草津荷物預け
13:11南草津 13:18京阪石山 13:22石山寺駅着 徒歩10分で石山寺
「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」と「源氏物語 恋するもののあはれ展」を見る
ここだけでホテルに帰ってもよいが、できれば
石山寺→唐橋前(1駅)移動し、瀬田の唐橋(駅から2分)を見る
唐橋前→三井寺駅へ移動、三井寺参拝後、夕食を買ってホテルに戻る
19時からバスケットライブで東京羽田ヴィッキーズ対秋田アランマーレ戦観戦

三井寺(みいでら)では、令和6年大河ドラマ放映記念「紫式部と三井寺」という展示を行っている。とことんべたな観光客になりきる計画である。
3月9日の土曜日はとても良い天気で、新幹線から富士山がきれいに見えた。鞄から一眼レフを取り出し座席を立ち、ドアの窓から富士山を撮影してインスタグラムにアップした。
明日は静岡マラソンも開催される。このような富士山を見ながら走れるのなら来年はエントリーしようかなと思い、自分がランナーであったことを思い出す。腰の調子は最悪ではない感じである。マラソンの遠征時に一眼レフとレンズを持参するようになったのは、写真も撮りたいと思ったから。でも最近はマラソンより観光写真のほうがメインだ。これだけ美しい富士山をみられたのだから、もう明日びわ湖を走らなくてもいいと思うほどだった。
名古屋をすぎると天候が悪化し、関ケ原では雪が舞ってきた。米原駅乗り換えの在来線のホームは寒い。新快速は座れたが結構混んでいた。窓の外を見ながら、あの日雪が降らなければ、ぎっくり腰にならなかったのにと思う。南草津駅に到着。雪は小雨に変わった。傘は持っていない。幸いホテルは駅前なので、急ぎ足でフロントに行き、荷物を預けた。まだチェックイン時刻前なので、休まずに観光に出発する。
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南草津駅からJRで石山駅へ移動し、京阪石山駅から石山寺駅まで路面電車のような京阪電車に乗る。電車を降りたときは小雨で、駅から歩いて石山寺に着くころには雨が強くなってきた。なにはさておき「光る君へ びわ湖大津大河ドラマ館」に急いで飛び込む。

真っ先に目に飛び込んできたのは主人公の衣装である。

仮装で走れるマラソン大会で、一山真緒選手がこの衣装を着てフルマラソンを走ったら、私でもいい勝負ができるかなとか余計なことを考える。着物は美しいことこの上ないので写真をとり、インスタグラムにアップする。展示の説明をみると、紫式部(まひろ)とある。「まひろ」とはなんだろう。ドラマの概要のパネルを見るうち、どうやら「まひろ」とは紫式部のことらしいとわかる。
が、それは変だ。紫式部はあくまで源氏物語の作者であり主人公は光源氏なのだから、ここでは光源氏の衣装が展示されるべきである。女性の衣装の方が美しいからそうしてるのかなと思いながら展示物を見ていくうちに、「光る君へ」というドラマは、源氏物語を書いた紫式部が主人公のドラマだと気が付く。源氏物語は多少予習してきた。しかしドラマには興味がなく、「光る君へ」は源氏物語だとばかり思い込んでいた。「光る君へ」の主人公が紫式部だとは知らずにここに来た観光客は私のほかにいないと思うと、ちょっと自慢したくもなる。「まひろ」は、あとでwebで調べたところ、このドラマの中だけの愛称のようであった。

「まひろ」役の吉高由里子さんを含め、パネル展示されていた出演者で私が知っている俳優さんは皆無であった。これこそ俗世間と離れて生きている証である。その中で私の目をひいた女優さんがいた。清少納言役のファーストサマーウイカさんだ。芸名がカタカナだ。この人は何者なのだろう。紫式部のライバル清少納言役はドラマでも重要な役回りだと思う。パネルの顔つきに惹かれるが、芸名も気になる。Webで調べると、ファーストサマーウイカさんは、本名の姓は非公開で名前は「初夏」と書いて「ウイカ」と読むそうで、当初はそのまま芸名にしていた。その後カタカナ名にする必要が生じ、「初夏ウイカ」のように二重に同じ意味の単語を並べようとしたとのこと。初夏(しょか)を英語にすると「アーリーサマーウイカ」になるが、そうではなく「ファーストサマーウイカ」にしたそうだ。ファーストにしたセンスが光る。この話は若者の間では常識かもしれないが、65歳の芸能界に無縁な私には実に新鮮である。

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大河ドラマ館の映像コンテンツもじっくりと鑑賞する。画質は必要以上に高解像度で美しい。ここまで受信料をつぎ込まなくてもと思いつつ館をあとにする。雨はあがっていた。隣で、「恋するもののあはれ展」が併開催されているのでそちらへ行く。実は大河ドラマ館でもそうだったのだが、中に入るには靴を脱がなくてはならない。普通の靴なら着脱は簡単だが、履いているのは明日のマラソン本番用のライトレーサーである。雨で濡れた靴ひもを外して脱ぐのは許容範囲としても、履くとき靴べらが無いと大変なことになる。マラソン遠征で観光するときの最大の難所がここだ。本来はレースシューズは持参し直前に履くものであり、前日の観光でレース用のシューズを履いているようではランナーとはいえない。私だって楽にサブ3.5で走れていたころは、往復や観光で履く靴とは別にレース用のシューズを鞄に入れていた。でも今となってはマラソンは完走できれば良く、タイムは二の次。主目的は観光なのだから、荷物を減らすため本番で履くシューズで観光もするのである。
大河ドラマ館を出てからこちらにも入ろうとする人は少ない。私はこのような時、靴を脱ぐのが面倒で中に入らないことも多々あるが、今回は観光がメインなので「恋するもののあはれ展」を観ずに引き返す訳にはいかない。中には3つの空間に展示があった。
其の一 「紫式部と源氏物語」Lady Murasaki and “The tale of Genji”
其の二 「恋の決め手は、美のセンス」The key to love is a sense of beauty
其の三 「千年の時を超える恋の歌」 A romantic poem that’s lasted a thousand years
展示を見ながら、予習してきた源氏物語に思いをよせる。



外は天気予報どおり晴れていた。石山寺の境内を少し歩く。石が山のようにあるから石山寺というのかなと思う。石の中をくぐってみたり、紫式部が源氏物語を書き始めた源氏の間という部屋を見る。紫式部の銅像もある。そういえば、昨年の京都マラソンの前日、宇治の平等院鳳凰堂へ行く途中でも紫式部の石像を見た記憶がある。そのときはなぜ宇治に紫式部なのかと疑問に思うことすらなかった。でも今は違う。源氏物語の終盤は宇治が舞台なのだ。旅行の前の予習は大切だ。




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石山寺をあとにして、門前に流れる瀬田川の右岸を、びわ湖に向かって歩く。京阪石山寺駅で電車には乗らず、そのまま歩き続けて、事前にガイドブックで調べてあった「瀬田の唐橋」を目指す。京都へ通じる軍事・交通の要衝だったとのことで、夕景の美しさでも知られ「瀬田の夕照」として歌川広重によって描かれた近江八景の一つとのこと。宇治橋、山崎橋とともに、日本三大古橋のひとつでもある。また、逆説法のレトリックの分かりやすい例である「急がば回れ」は瀬田の唐橋に語源がある。平安時代に読まれたとされる、
「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」
が始まりだそうだ。
琵琶湖の南端あたりの地図を手元においてみていただきたい。私が今夜宿泊するホテルは南草津駅にある。南草津から京都方向へ行く最短ルートは、南草津駅から大津駅に向かってほぼ直線的に進み、近江大橋で琵琶湖を渡ればよい。しかし戦国時代に近江大橋はなかった。では、東方から京都へ向かって進撃する軍隊はどうするのか。急ぐなら今の近江大橋の近くの矢橋(やばせ)から船で渡ればよい。しかし、比叡山(標高848メートル)から吹き下ろしてくる強風で船が押し戻されたり転覆したりするなど危険も多く、軍隊が大勢になると船が何往復もしなくてはならず、結局は瀬田の唐橋経由の陸上ルートの方が早く安全で確実だという意味で、「急がば回れ」ということわざが広く普及したそうである。「性急に進めるより地道な手段を好む」日本人の心情にも合致し、ことわざとして普及したとの学説もある。

瀬田の唐橋では、一眼レフを持参しただけのことがあったと自慢できる写真を狙っていたのだが、ガイドブックやネットで事前調査していた橋は現れない。まさかあのシートがかかっている工事中の橋が瀬田の唐橋だなんていうことだけはやめてくれとの願いもむなしく、石山寺から歩き着いてようやく見ることができたのは、工事中の姿であったのだ。がっかりしたが、なんとか工事中には見えないようなアングルで何枚か写真をとり、石山駅まで歩き続けることにした。

唐橋の工事は残念であったが、それを補って余りあるほど琵琶湖の眺めが雄大で、気持ちが晴れ晴れとしていたからである。少し歩くと瀬田川と琵琶湖の境界地点があった。瀬田川(淀川)とあり何かなと思うと、瀬田川はこの場所から始まって宇治川と合流し、最後は淀川に合流して大阪湾に流れ込むと知る。関西人なら常識かもしれないが、関東人にとっては位置関係が良く把握できない。

えっ、宇治川と合流する? 宇治川は、昨年の京都マラソン前日に行った宇治に流れていた川のことだよな。あっ、あのとき紫式部の像は、橋のたもとにあったけれど、まさかあの橋が日本三大古橋の一つである宇治橋だったとしたら、なんて無知だったのだろう。その橋で無くても、日本三大古橋の一つである宇治橋が近くにあったのかもしれない。
私は高所恐怖症で、橋を渡るのは好きではないが、橋を観たり写真を撮るのは好きである。1月の勝田マラソンの翌日、足利に立ち寄り、森高千里の曲で有名な渡良瀬橋で夕日を見てきたぐらい橋好きなのに、宇治橋を見逃したとすれば橋好きとは言えない。その場では調べなかったが、あとで確認すると、紫式部の像があったところの橋が宇治橋と知り、恥ずかしいやら、情けない思いをした。京都は主だった観光地はすべて回っていて、残すところは平等院鳳凰堂と比叡山延暦寺だけ残っていたので、昨年マラソンのついでに宇治に行ったのだが、こうなるともう一度京都マラソンか奈良マラソンにエントリーして宇治に行くかと思ったりする。『あらすじと地図で面白いほどわかる!源氏物語』には、宇治十帖にちなんだ古蹟の地図があり、いろいろと見どころがあるのに平等院にしか行かなかった自分を責めたい。
マラソン前日でもあり散策はここで終わりにして石山駅まで歩く。明日はあの橋を走るんだ。近江大橋が良く見える。近江大橋を渡りきるまでは、まともなスピードで走っていたいと思う。そういえば、もう夕方なのにまだ昼食をとっていない。明日フルマラソンだと忘れていた。あわてて駅前の定食屋さんで食事する。店の中でランナーと思われる人を今日初めて見かけた。幸い腰の調子は悪くはない。明日はなんとか走れそうな気がする。しかし、腹が減ってはマラソンは走れない。昼食抜きは致命的なミスかもしれないが、まあタイムは求めないのだからかまわないかな、ぐらいの感じであった。

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電車で南草津駅に戻り、食事した直後ではあるがもう一食食べたほうがよいと思い、駅前のスーパーマーケットで夕食を買いホテルに戻る。十分旅行を堪能した気分であったが、今日はもう一つ重要なことがある。Tシャツにアスリートビブスを付けるとか、シューズにチップを付けることも重要といえなくもないが、それとは比較にならないほど重要である東京羽田ヴィッキーズの試合が19時からある。iPhoneでバスケットライブに接続し、大田区総合体育館からの中継を見る。相手は秋田アランマーレ。前日は88-69で圧勝するのを生観戦で見届けてきた。昨晩の私の一押しPG(ポントガード)の本橋菜子選手のプレータイムは短めで9分14秒、残りの30分46秒の間PGは「ほたる」(注:樺島ほたる選手のこと、2024年春に現役引退)が務めた。
バスケを見ながらTシャツにアスリートビブスを付けようとしているのだが、試合が接戦になりそれどころではなくなる。iPhoneで見るバスケットライブの配信では、いつも自分が座っている席に「よく会う名前の知らないバスケットボールファン」が座り、盛んに応援している後ろ姿が写る。その隣は空席だった。私も懸命にiPhoneの小さい画面に向かって念を送る。前半を終わって37対36でかろうじて1点リード。ハーフタイムの間に慌ててシャワーを浴びる。明日の朝何時に起きて何時の電車に乗るか考える余裕がない。
後半も一進一退で、4Q終了し64対64の同点。5分間のオーバータイム(延長戦)に突入する。試合は白熱し、選手同士の接触も強くなる。ナコが倒れる。仰向けに倒れたまま動かない。「あぁーー!」テーブルに置いていたiPhoneを手にとり、悲鳴をあげる。
本橋菜子選手は大学4年生の時前十字靭帯断裂の大けがを負い、バスケットボールをやめようとしたが、東京羽田ヴィッキーズからの誘いでプロ選手となった。そして東洋一の選手になったあと、日本代表合宿中に再び前十字靭帯損傷を負い、難しいといわれていた東京オリンピックにはぎりぎり間に合った。とはいえオリンピックでは全盛期の動きにはほど遠かった。ようやく最近になって動きが戻ってきて、ご本人に「昔みたいに動けるようになってきましたね。」と言うと、まんざらでもない顔をしてうなずいてくれたのは、つい最近のことだ。
ナコは動かない。試合は中断したままだ。トレーナーが駆けよることもない。どうなった。私は配信を巻き戻して、接触シーンを見直すが、何が起きたのか分からない。もう一度見ても、どこを痛めたのか分からない。本人は意識はあるようだが、どこかを押さえているというような感じはなく、横になったままだ。ベンチからリツ(注:尾﨑早弥子選手、2024年春に現役引退)が歩み寄り、ナコをお姫様抱っこして控室に運んだ。このような時は担架か車椅子で搬送されるのが普通だ。お姫様抱っこしたのはなぜなんだろう。iPhoneの画面が小さいのがもどかしい。配信は映像と現場音声だけでMCや解説者がいないので、状況が分からない。
試合は再開されたが、もう勝敗はどうでもよくなった。現役引退ということばが頭に浮かぶ。東京羽田ヴィッキーズのホームゲームはずっと生で観戦してきた。今シーズン生観戦しないのは今日だけだ。そんな日に限ってこんなことが。僕がいない日がナコの現役最後の試合になってしまうのか。
ヴィッキーズは、勝った。点差は覚えていない。ナコは試合後顔を見せたので、少なくとも命に関わるようなことではなさそうだが、どうなってしまったのかわからない。私は動揺したままだ。バスケットボールの常連ファン同士、誰が誰を推しているのかは皆承知している。試合で選手が大怪我をしてしまった時は、その選手を推しているファンの人に声をかけることが多い。もしいつもの席に「よく会う名前の知らないバスケットボールファン」ではなく私が座っていたなら、周りから慰められ、私は本橋菜子とプリントされた応援タオルで涙を拭いたに違いない。私がマラソンを選んでバスケの応援に行かなかったから、ナコは怪我をしてしまったんだ。本橋菜子のTシャツにアスリートビブスを付ける手が止まったまま時間が過ぎて行く。
Google documentの予定を少し書き直した。
3/10 Sun.
5:00起床
ホテル朝食は6:30から 食事会場へ6:20には行く
6:54南草津駅発 7:03京阪石山 7:22京阪大津京着
更衣室6:30~ 手荷物預け7:00~7:50
整列~8:05 8:20スタート
ゴール後草津駅行バスに乗れれば、草津で食事をして草津観光もする
草津宿本陣、草津宿街道交流館、立木神社など
明日は早く起きてコンビニで朝食を買い早めに会場に着くつもりであったが、ナコの怪我でそんな気にならず、ホテルで朝食をとりゆっくり出発すればいいかと思う。私が行かなかったから怪我してしまったというのは考えすぎだけれど、そう思ってしまうことこそ「推し」の証なのだ。ナコはトップアスリートなので、彼女が私を評価するとすれば、バスケを見に来ている私より自分が走るマラソンを選んだ私のほうが高いはずだ。あまり論理的な考え方ではないが、無理やりまとめてすこしでも早く寝るようつとめた。

<コラム>
左は試合後facebookの東京羽田ヴィッキーズ公式投稿。
萩原ヘッドコーチの「ホームゲームに足を運んでそんな選手たちに大声援を送って下さった皆様も(連勝の)立役者のおひとりです。」の言葉が、胸に突き刺さる。
私だって、遠くから応援していたんです!!
11
びわ湖マラソン当日。ガーミンの予測タイムは4時間39分31秒。このくらいでは完走できるかなと思う。 朝食はホテルのバイキングで食べた。電車の本数が少なく、時間ぎりぎりになってしまうが、スタートまでに並べばよい。ところがレストランが開く10分前の6時20分に行くと、すでにランナーではない一般の団体観光旅行客が並んでいた。焦る。6時30分になり前の客が食事を皿に取り始めるが動作が遅い。「あらこれは、なにかしらねえ、ちょっと美味しそう」などと会話をしていて、列が進まない。


私より後ろに並んでいたランナーが待ち切れずに一度に5〜6人追い越し先の方にある料理を取り始めた。私もそれに続き、手前のちょっと美味しそうな料理はあきらめて炭水化物中心に皿に盛り、もう少しよく噛んだ方が消化によいかもしれないと思うぐらいさっさと食べた。食べ終わるころにはその団体客でレストランは満席になった。
まだ電車の時間には10分ぐらい余裕があった。コーヒーは好きで毎朝飲むが、マラソンレース当日の朝には絶対に飲まない。トイレが近くなるからだ。でも今日は完走できれば十分で、途中で棄権しても構わないと思っていたのが災いし、コーヒーサーバーの前に立ってしまう。サーバーの横にはデカンタに入った牛乳が置いてある。コーヒーに牛乳を少しだけ入れた。牛乳も好きだが、レース前には絶対に飲まない。お腹を壊してしまうことがあるからだ。しかし今日は参加できるだけでいいと気が緩んでいて、コーヒーとは別にグラスに冷たい牛乳を注いでしまう。コーヒーも牛乳も美味しかった。たしかに美味しかったが、結果としてこの行為がこの先の事件を生んでしまうのである。
12

ホテルのレストランから部屋に戻らず直接南草津駅に向かい、駅のトイレに寄ってから6時54分発の電車に乗る。石山駅で降り京阪石山駅発7時3分の京阪に乗り換える。昨日一度通ったところなので迷わずにすみ、一番前の席に乗る。運転席越しに写真をとる。少し遅れて7時25分に京阪大津京駅に到着。小雪が舞っていて寒い。
皇子山球場に停車している手荷物トラックの近くで素早く着替え、記念撮影してもらったのが7時42分、手荷物預け締め切りが7時50分なので、わずか8分前である。このわずかな合間に、Xに記念撮影した写真をアップした。時刻は7時45分である。手荷物預けから野球場とサッカー場より広いグラウンドを超え、その先の皇子山陸上競技場内に向かうが、その途中で、大も小も、もよおしてくる。途中にもトイレは沢山あったが、どれも長蛇の列のため、陸上競技場の入り口前の仮設トイレ(大用)まで行って列に並ぶ。このとき7時50分頃。スタートブロック閉鎖は8時5分とアナウンスされている。列の進み具合から、閉鎖時間ギリギリになりそうだが、スタートは8時20分なので、ここまで来ていれば多少の遅れは多めに見てもらえるだろうと思う。
ようやく順番が巡ってきたときにはすでに8時を過ぎていた。ダッシュで駆け込み全てを体から出し急いで個室を出ると、私の後ろに大勢並んでいたランナーは一人もいない。皆あきらめたのか。私は慌てて陸上競技場の門に向かって再びダッシュする。中に入ったのは8時4分ごろ。1分前。そして、私のGPSウォッチが8:05と表示された瞬間、私のすぐ後ろで陸上競技場の門が閉鎖された。かろうじてBブロックの最後尾に整列したが、あまりに時間に余裕がなさすぎた。
13
陸上競技場では開会セレモニーが始まったが関心はなかった。完走できればいいなどと言い訳しているが、実際のところ昨日バスケでショックを受ける前は5時間以内にゴール出来るだろう、ガーミンの予測タイム4時間39分31秒はいい線かなと思っていた。しかしスタート前の現段階でこのレースは大失敗確実である。フルマラソンの結果はスタートラインに着いたときにほぼ決まっていると言われることが真実であるのは何度も経験してきている。今回は練習もできていないし、腰痛の不安があり、お腹も壊し、雪が降っていて寒く、ナコの怪我の様子も分からないという悪条件が重なっており、唯一の救いは風が弱いことぐらいだ。下痢していると汗をあまりかかなくても脱水症状が進み、最悪途中で倒れることもあり得る。危ないと思ったら、途中棄権するしかない。
この時の気温は5度であった。予報の最高気温は9度。寒さ対策として、両手の手袋はまず作業用のポリエチレンの薄手の手袋をしてからランニング用の手袋を重ね、その間にミニホカロンを入れる。給水時に誤って手に水がかかってしまっても、手が冷えないようにするためである。ネックウォーマーは気に入っている京都マラソンの参加賞を今日も身に着けた。腰やお尻にはサロメチールを塗りたくっている。サロメチールを塗った部分は走っているうちにぽかぽかしてくるのでお勧めである。最近は町の薬局には置いてないが通販で購入できる。
上から、キャップとサングラス。ウエアはメッシュ状のアンダーシャツの上に、nikeの長袖ランニングウエア、その上に東京羽田ヴィッキーズ背番号12本橋菜子のTシャツ、さらにその上にビニールを被った。下はアンダーウエアの上にロングタイツ(保護機能はなく保温ためだけの安価なもの)、その上にポケットが沢山ある短パン、ポケットにはジェルを4個、塩飴3個、芍薬甘草湯(コムレケアより利く—あくまで個人の感想です)1包、健康保険証のコピー、ティッシュペーパー、池上本門寺のお守り、ロキソニンが入っている。初フルマラソンは48歳のときで以後65歳までに69回完走しており、いろいろ経験するうちにこんな感じに落ち着いた。サブ3.5の時から変わらない。ネックウォーマーはよほど寒い日にしか使わず、もっぱらバンダナを首にまいている事が多い。バンダナは寒いときはネックウォーマー代わりになり、暑い日は水を含ませてネッククーラー代わりにし、ハンカチの代わりにもなり、ちょっとおしゃれなので何枚も持っている。
ティッシュペーパーを持つのは、万一お腹の具合が悪くなり公衆トイレに駆け込んだ時にトイレットペーパーが無くなっていても困らないようにするためである。まず使うことはないが予備のお守りみたいなものだ。
14
スタート時間が迫る。やる気が全然ないからなのか緊張感はまったくない。ああこれからこんな天気の下、42kmも走るんだと思うだけでうんざりしている。
スタートまであと僅か。この時突然空が晴れ日差しが頬にささる。MCの人が、「晴れてきました」とアナウンスして号砲がなった。陸上競技場の中をすこしずつ列が進み、約3分半後にスタートラインを超えた。走りだした以上、余計なことを考えずゴールをめざして一歩一歩走るだけだ。周りとだいたい同じペースで流れにのって走る。ここからは、1km毎と5km毎のラップタイムを記載し、レースを振り返る。
号砲からスタートまで 3:27
00-05km 6:28 6:12 6:06 8:35 6:21 33:53
キロ6分半ぐらいで行ければよいと考えていたが少し走ってそこまで落とさなくても良さそうだったので、4km手前までスピードを上げながら走っていた。左手に私のようなクラシック音楽ファンには有名なびわ湖ホールが見える。生涯に一度はここで公演を見たいと思う。そうこうしているうちに、もうトイレ(小)にいきたくなり、仮設ではなく琵琶湖畔の公園のトイレに立ち寄った。やはりコーヒーはだめだ。なんでコーヒーを飲んでしまったのか。ここで反省しても仕方がなく次の機会にこの経験を活かすしかない。少し並んだので時間がかかったが、トイレ以外はここまで予想以上に好調で、腰が痛み出しそうな気配もない。先を急ぐわけでもないので、慌てはしなかった。体も温まったので被っていたビニールは脱ぎ捨てて、トイレの所にいた係の人に手渡した。レースに戻ると全体のペースが遅いなと感じたが、これで十分と考え流れにのって走った。

飛び出し坊やの「とび太くん」のお面をして走っているランナーに声をかける。NHKのクラシックTVという番組で西川貴教さんが飛び出し坊やの話をしていたのを見て、どこかで遭遇しないかなと期待していたがマラソンの最中に出会えた。運がいいぞ。この先の走りに期待ができる。
トイレで2分以上もロスしたが、たいした問題ではないと思う。5km通過はネットで33分53秒。生涯で一番遅い出だしかな。
15
5kmを過ぎ、近江大橋が近づいてくる。天気はあまりよくないが、開放的で気持ち良い。沿道の応援も結構多い。滋賀レイクスのユニフォームで走っているランナーがいる。「僕、テツのファンなんですよ。」と話しかけようとしたが思いとどまった。マラソンレース中に見ず知らずの人にいきなり話しかけるのは失礼で相手も迷惑だと思うので控えるようにしている。滋賀レイクスとは、バスケットボールB2のチームで、昨年はB1であったが降格してしまった。しかし今シーズンB2では上位であり、プレーオフを勝ち抜いてB1に復帰できる可能性が充分にあるチームだ。このチームをちょっとだけ応援しているのは、キャプテンを務めている柏倉哲平(コートネームはテツ)が、私にとってBリーグ全選手の中で一番の推しだからだ。テツは、大学生の時に大田区総合体育館をホームにしているアースフレンズ東京Zに特別指定選手として入団した。最初の試合、ゲーム終盤に出場し、3Pライン外側の中央でパスを受ける。しかしパスを受ける選手は皆マークされていてパスが出せない。しかし新人のテツはマークされることなくワイドオープンなのでいきなり3Pシュートを放ち、見事に決めてその試合を勝ち取る。試合後HCが期待しているプレーじゃなかったとコメントしたことを今でも覚えている。
その後、チームのトレーナーさんと話す機会があり、このチームの中で一番運動神経がいいのは誰かと聞いてみたらすぐさま「テツ」と答えが返ってきた。その言葉を聞き、その日から私はテツのオーセンティックユニフォームを着て応援するようになった。テツはなによりキャプテンシーがあるのが魅力である。滋賀のブースターには、間違いなく愛されているに違いない。滋賀レイクスのユニフォームで走っているランナーを見た瞬間に、これだけのことを瞬間的に思い出した。そう、テツもまた、初めて会った瞬間を覚えている人の一人であるのだ。(注:テツは2024-2025シーズン、私の地元にあるB1チームの川崎ブレイブサンダーズに所属している)
近江大橋を渡るときはそれほど感激することもなく、出来る限り橋の中央部分を走った。橋を見るのは好きであるが、橋を渡るのは怖い。極度の高所恐怖症のため、渡れない橋も結構ある。近江大橋は怖い部類の橋でなくて良かった。橋で有名な富山マラソンや千葉アクアラインマラソンは絶対に走らない。
橋を渡った先にはイオンモール草津があった。ホテルのある南草津駅に宣伝看板があったので、ここは南草津に近いのかなと思う。

16
再び湖畔に出る。左手が琵琶湖だ。ここは矢橋帰帆島というところらしい。とすると、「急がば回れ」で急いで船に乗るところだ。まずまずのペースで10km地点を迎える。
05-10km 6:44 6:14 6:36 6:19 6:08 31:48

完走さえできれば良いという割にはいいペースである。この間はロスもなく順調である。スタイルのよい女性の後ろにつき湖岸道路を進む。女性ランナーでスタイルが良くない人はほとんどいない。ただちょっとペースが遅い。
10-15km 6:32 6:50 7:24 5:38 6:25 32:51
11kmから12kmでペースが落ちた。12kmから13kmはさらに遅くなる。これはまずい。ストーカー走りはやめて、その女性の前に出ることにする。左側に並び、追い抜きざまにちらっと横目で彼女の顔を見る。
中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などの、なえたる着て走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌なり。髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。(源氏物語「北山の垣間見」より)
若紫はのちの紫の上で、光源氏から最も愛された女性という役どころである。瀬戸内寂聴さんの著書では、この若紫との出会いの場面は、源氏物語の中でも重要であるとのことだ。
光源氏が若紫を垣間見たときのはっとした気持ちは、ちらっと横目で、走る君を見た私の気持ちでもある。初めて出会ったこの瞬間は忘れない。あまりに私のタイプなのである。が、通り過ぎた後に振り返って正面からまじまじとお顔を見るのは失礼極まりないので、そこはぐっと我慢して振り返らずに前に出た。そもそも女性が顔を見せるのは肉体関係を持ったことと同義なのだ。いくらなんでもレース中に顔をじろじろ見るのはまずいのである。私が光源氏であったなら一緒に走っているであろうSPに命じて、「次のエイドでお待ちしております」と伝えてもらったか、ゼッケン番号を控えさせるか、あちらの方からですと言って塩飴を渡したか、なにかしら行動をとったにちがいない。しかし私は光源氏ではないし今は平安時代でもない。私は後ろを振り返りたい衝動をおさえスピードをあげた。その結果、13kmから14kmの間はサブ4ペースで走っていて結果的にここが今日のベストラップであった。湖畔道路を右折して琵琶湖から少し離れ、15km地点を通過する。
すぐにもう一度右折したころからお腹が少しごろごろとしてくる。スタート前に全部出し切ったはずなのに、また怪しくなってくる。次に左折し、地図では草津川跡地公園の場所にあるエイドステーションに着く。ここの給食に「白姫餅」があった。取ったが袋を開けられず、エイドのボランティアさんに袋を開けてもらって食べる。お腹は危ない感じだが、このお餅は美味しかった。ここでごたごたしている間に17km地点があったようだが、キロ表示を見逃してしまう。お餅は美味しかったが、物を食べた関係でお腹の限界が近づいてくる。気温も低く、お腹が冷え気味なのもよくないようだ。

折り返しがあったが、走る君がどこにいるかなどと探す余裕はない。この付近は広々と開けていて、残念なことにこの先すぐにはトイレがありそうにない。朝食で飲んだ牛乳が悪かった。なんで牛乳なんか飲んでしまったのか。完走できればそれでいいなんていう考えで臨んではいけなかったのだ。
17
右折して長い直線に入る。なんとかキロ7分ぐらいで走る。コンビニがあるような道ではない。とにかく前に進まない限りトイレはないのだ。やっと仮設トイレが現れる。地図にメロン街道とある「街」のあたりだ。トイレは2基しかなく、数人が一列に並んでいる。その列の後ろに並び一息つく。
走る君だ。
私の次に並んだのは、走る君だった。突然極度に緊張する。何もしゃべれない。普段なら挨拶ぐらいはしただろう。でも今はお腹が危ういのだ。そして目があってしまう。お腹が苦しいことを忘れてしまうほど、私好みそのものの女性だ。しかし私の顔は引きつっているにちがいない。お腹が辛いのだ。
「今日は寒いですね」
目が合って場が持たなくなったからだろう。走る君のほうから、私に話しかけてきた。
「そうですね」
と返す。しかし気の利いたことを話せない。今日は72回目のフルマラソン。DNF(途中棄権)が2回あるので、完走できれば70回目となる。これだけ経験があっても、レース中に若くて素敵な女性から声をかけていただいたのは今日が初めてである。それなのにお腹に余裕がなく、話せない。
走る君は、ポケットからジェルを取り出して摂取した。私も同じようにジェルを摂取した。そのとき何か話したような記憶もあるが内容は覚えていない。5分以上待って順番になり個室に入る。今度こそ全てをお腹から出し切りレースに戻る。走る君は先に行ったのか、まだ個室の中なのかは分からない。20km地点を通過する。折り返しの前後で走る君を探したが、見つけることは出来なかった。
15-20km 6:33 -:– 14:12 7:09 13:32 41:24
中間点でのスプリットタイムは、2時間30分ちょっとだった。トイレロスタイムが痛いが、それでもこのペースを保てば5時間前後でゴール出来るのでまずまずである。胃腸の調子は悪いが、心配していた腰痛は起こる気配はなく、ペースがすごく遅いので息が切れる心配もなく、ガス欠にもならないだろうと感じていた。寒くてあまり汗をかかないので、脚がつることもなさそうだ。ただし、下痢しているときは脱水症状になることがあるので、喉が乾いていなくてもエイドでは必ず水分を多くとった。ポカリスエットがあるのは1つおきで、半分は水しかなかった。塩熱サプリは、ポカリスエットがあるエイドにしかおいていない。水しかないところにこそ、塩熱サプリを置いて欲しかった。
2回右折して湖岸道路に戻る。天気が良くなってきた。河川敷コースは対岸の景色が楽しめる。海沿いのコースがある大会では、大きな海が広がっていて気分爽快だ。琵琶湖湖岸道路は、海が広がっているように見え、その先に山々が連なって見える。あまり経験したことのない景色だ。晴れてきて山肌が鮮やかに見えるようになり、琵琶湖まで走りに来て良かったと思う。比叡山はどれだろう。
18
エイドで止まる時間が長くなってきた。21.5kmの第6給水所、23.5kmの第7給水所で少し休んだのでラップタイムがばらばらになっているが、走るスピードはキロ6分半から7分程度であった。
20-25km 6:30 7:03 6:20 7:50 7:02 34:47
25kmを過ぎ、烏丸半島に出る。26km付近にゴール地点がある。その広場にトイレがあり、小用を済ませる。またトイレと言われそうだが、このときは正直な話、トイレに行きたいと言うより立ち止まりたかったのである。ゴール地点の会場ではすでに表彰式が行われているようで、遠くからアナウンスが聞こえてくる。事前にコースマップを見て、途中棄権するならここだと考えていた。が、もうここでやめようとは思わなかった。ここから8kmほど北上し、戻って来ればゴールがあるのだ。

25-30km 7:25 8:04 7:24 6:57 7:15 37:03
淡々と、ゆっくり走り続け、30km地点にたどり着いた。スタートからのスプリットタイムは3時間35分ほどであった。
19
すでに失速してしまったスピードで走っているのだから、もうこれ以上遅くはならない。残りの12.195kmを1時間25分で走れるだろう。だいたいキロ7分でいけばよいのだ。しかし、しだいにキロ7分では走れなくなって来た。そして、前を走っている若い女性2人の衝撃的な会話を聞いてしまうのである。
「もう、ローストビーフは、なくなっているよね。」

ここまで来ると、35kmのエイドにある近江牛ローストビーフだけが心のよりどころである。お腹の具合がよくなく食欲もないが、話題の給食はなにがあっても食べなくてはいけない。会話の内容から、この順位だともう残っていないらしい。第一回東京マラソンで、事前に話題になった人形焼がなくなった事件の再来である。
こうして食べ物のことを考えているうちに、またしてもお腹が危なくなってきた。コースの北端の折り返しにトイレの看板があり立ち寄る。ここは仮設ではなく競技場のトイレで、案内してもらうほどコースから遠かったが実にきれいであった。5時間は無理でも制限時間の6時間まではまだたっぷりあるのだからと、きれいなトイレでしばらく休憩した。33kmから34kmまでが、今日一番時間がかかった1kmになった。折り返して左にまがりもう一度左に曲がると、陸上競技場に入り、もと来た道を戻り35km地点を通過する。
30-35km 7:17 7:42 8:05 13:09 8:55 45:11
35kmのスプリットタイムは4時間20分ぐらいであった。残り7.125kmを40分で走るのは無理だと計算した。そして、ふと我に返る。
ローストビーフはどうした。
いつものレースではエイドで減速しない。場合によっては加速してドリンクをとったりする。でも今日はエイドで立ち止まっているので、ローストビーフを見逃すはずはない。やはり、もう残っていなかったのだ。

20
湖岸に戻る。コース上のランナーはかなりまばらになってきた。心配していた腰は痛くならないが、自分の身体を思うように動かせなくなってきた。もうこのときは、ただただ次のエイドだけを目指して走っていた。私の記憶が正しければ、この先「走り井餅」があるはずだ。
事前に送られてきたプログラムに、お楽しみ給食マップがあった。その中で私が一番期待したのが「走り井餅」であった。大津の観光を調べていたときに、この「走り井餅」が大津のお土産として有名であることを知った。その「走り井餅」は、歌川広重の東海道五拾三次で「大津」に描かれているという。
子どもの頃、永谷園のお茶漬けに東海道五拾三次の絵がおまけでついていた。我が家にはその全宿場のセットがあったが、流石にもう手元にはない。そこでネットで調べてみると、「大津宿」は東海道の53番目の宿場で、次は終点「三條大橋」だ。「大津宿」には「走井茶店」が描かれていて、そこで売られているのが「走り井餅」である。大津の絵として琵琶湖を書かなかったのが面白いと思う。お土産屋さんで買うのでもよいが、やはりここはびわ湖マラソンのエイドで食べるほうが趣がある。マップでは37kmすぎのエイドにあると書いてあった。

35-40km 7:14 7:09 8:02 7:44 8:48 38:55
37kmから38kmの間にペースが落ちているので、そのエイドで止まって休憩したと思うが、そのときには「走り井餅」のことを思い出すことはなく、あとから思い出そうとしてもその時どうだったかわからない。食べたのかもしれないし、もうなくなっていたのかもしれない。すべてのエイドにある給食を一通り全部食べることをモットーにしているので、これはいただけない。が、前に進むことしか考えられない状態だったのである。反対車線の最後尾とすれ違ったときには、ヘタをすると制限時間内完走も危ないのではないかとさえ思った。
反対車線にランナーがいなくなり、エイドや沿道警備のスタッフのみなさんが道の反対側からも声援を送ってくれる。私の前後にランナーはいないので、私に対する声援だとわかる。でも手をふるなどのお返しができない。顔をちょっと向けるだけで精一杯であるが、本当にありがたかった。びわ湖マラソンの沿道からの声援は、他のどのマラソンより暖かかった。
40kmのスプリットタイムは4時間59分ほどであった。残り2.195km、1時間はかからないと思うので完走はできそうだとホッとする。そこで気が緩んだのか、100kmマラソンの終盤のようにしか走れなくなった。走っているつもりではあるが、両足が空中にある時間は限りなくゼロに近い。歩いたほうが速いと思うほどだ。ナコさんの力を借りようとしてTシャツの背番号「12」を右手で握りしめる。力を届けてくれたと信じて最後の坂を登る。
どうしてこんな坂道があるんだ。ゴールがなかなか見えてこないぞ。かろうじて前に進み、なんとかゴール。振り返ってコースに礼をするのも辛かった。
40-42.195km 9:19 9:20 1:54 20:30
フィニッシュタイムは、グロスで5時間19分49秒、ネットで5時間16分22秒であった。このタイムでも、いやこのタイムだからこそだろう。達成感はあった。
21

レース前に心配した腰痛は問題なかったが、無意識に腰をかばっていたからなのか、下半身は自分の物ではなくなっていた。完走メダルとタオルを受け取り、計測チップは自分では外せないのでボランティアの方に取ってもらう。眼の前に預けた荷物が並んでいる。自分の荷物のところにたどりついて、まずはスマホを取り出し、完走メダルを首にかけ、完走タオルを肩からかけて、荷物係のボランティアのお姉さんに記念撮影してもらう。その先なんとか近くの着替えできそうな場所に移動する。着替え場所はかなりの人数でごった返しているのが常であるが、今日はゴールタイムが遅く混雑には巻き込まれなかった。今日もホテルに後泊するので急ぐ必要はないが、急ごうとしても急げないほど疲労困憊していた。
おにぎりはこちらという看板を見つける。お腹は空いていないが、おにぎりと豚汁をいただく。豚汁は多めに用意してあったようで、容器にたっぷり注いでくれた。マラソンのあとの豚汁はしょっぱくて美味しい。歩くのは辛いが気分は落ち着いてきた。光る君へびわ湖大津大河ドラマ館や、源氏物語恋するもののあはれ展を紹介するブースに立ち寄ってみる。ボランティアの女子高校生に、
「あなたは源氏物語を読んだことあるの」
と聞くと
「漫画は読みました」
と返事される。私は漫画すら読んでいない。千年前に書かれた物語が、世界に誇れる日本の文化である漫画になっているのだ。わたしもぜひ手にとってみたいと思う。
第一生命のブースで、5.19.49とグロスタイムを表示し、写真におさまる。ハリケーンポテトを買って食べる。

22
ブースの先には一面芝生が広がり、青空に大きな雲が横たわっている。
びわ湖マラソン、完走できたんだ。

琵琶湖対岸の山並みが眩しく光る。スマホでごく普通に風景を撮る。一眼レフをホテルに置いてきているのが残念だと思ったが、写真がなくても、自分の目の前に広がるこの景色は生涯忘れることはないだろう。小雪が舞うなかでお腹を抑えてトイレに並びスタートしてなんとか42.195km走ったあとだからこそ見えているこの景色。一眼レフを持っていたとしても、自分の感情を込めてこの景色を切り取れるほどの腕を私は持っていない。それでも人が写り込まないようにして、さりげなく琵琶湖大橋も入れるなど、できる範囲で努力してスマホで風景写真を残した。もっといろいろと場所を変えて撮りたい気持ちもあったが、ちょっと歩くのも辛く駅までの送迎バスに乗り遅れてしまったらどうにもならないので、適当なところで引き上げた。
JR草津駅行き送迎バスの座席に座り、レース後ストレッチをしていないことに気がつく。腰が痛くなってバスから降りれなくなるかもしれない。でも、そうなってもいい。もう走るわけではないのだ。
レース中に出会った「走る君」のことを思い出す。わたしの好みそのものの女性と、仮設トイレの列でお話ししたのであった。「走る君」は薄色のサングラスを掛けていた、スリムな女性であった。ウエアの色は覚えている。しかし、肝心の顔立ちが思い出せない。出会った瞬間を一生忘れないほど美しかったけれど、ではどんな女性だったのかと人に説明できない。あえて言えば「サングラスを掛けていたスリムな女性」となるが、これだとほとんどの女性ランナーに当てはまる。幻だったのか。目をつむるが、思い出せない。ほどなくバスは到着した。そこは駅前ではなかった。
23
送迎バスを降りると、目前には下り坂が待ち受けていた。厳しい。平地でも辛いのに、急な下り坂を歩くのは拷問に近い。今回のびわ湖マラソンは、朝のスタート会場から、コース中やゴール会場まで含め、近江牛のローストビーフが食べられなかったことを除けば顧客満足度の高い大会であった。ローストビーフは自分が遅いから仕方がないと諦めれば、ここまでは100点満点だった。しかし送迎バスを下車してから草津駅までの下り坂だけは勘弁してほしかった。ここだけがびわ湖マラソン唯一の失点だったので、次回はぜひとも改善してほしいと思う。

実は、レース後草津で軽く食事をして、草津宿本陣、草津宿街道交流館、立木神社など草津観光もする計画でガイドブックのコピーも持っていたが、もはや気力も体力もなく、駅前で数枚写真を撮るだけにした。もう一度びわ湖マラソンを走る機会があったらぜひこの近辺も観光しようと思う。

セブンイレブンに入り、マシンで抽出するコーヒーを飲んだ。思えばホテルの朝食後にコーヒーと牛乳を飲んだのが失敗の始まりだった。練習ができておらず、1月の勝田マラソンのようにサブ4で走るのは無理だとはいえ、今日の自分にできる最善を尽くさなかったことは悔いが残る。コーヒーを飲んでしまったとしても、牛乳を我慢すれば5時間以内にゴールできたと思う。わたしは牛乳を飲んでお腹を壊すことが多い。そんな体質なのかもしれない。ブラックで飲んだセブンイレブンのコーヒーは、暖かく苦かった。
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JRで南草津駅に戻る。ホテルに戻ってしまうと買い出しのため外出するのが億劫になると思い、駅前のスーパーマーケットでおやつとしてミスタードーナッツ、夕食としてケンタッキーフライドチキンのセットを購入する。飲み物はコーラ。コロナウイルス感染拡大で飲み会がなくなり、それを契機にアルコールを飲むのはやめた。これが実によい。アルコールなしの生活がこんなにもよいとは思ってもみなかった。ソーバーキュリアスという生き方を選択してから人生が変わった。ソーバーキュリアスとは、「sober(酔ってない、しらふの)」と「curious(好奇心が強い)」を組み合わせた造語で、お酒を飲むことはできるけど、健康に影響を与えるかもしれないお酒を自ら進んで飲まないライフスタイルを選択する人を指す。選択はあくまで個人の自由であり、他人には勧めていない。お酒をやめたからと言って、速く走れるようにはならないことも実証できた。
わたしの好物は、フライドポテト、ポテトチップス、唐揚げ、アイスクリーム、チョコレートパフェ、ラーメン、カップ麺など、およそランナーとは程遠いものばかりである。しかし好物とはいっても、マラソン大会前には控えている。太ってしまったら走れなくなるからだ。その反動として、レース後にはまずマクドナルドやケンタッキーフライドチキンのような店に行き、コーラを飲みながらフライドポテトを食べるのが自分へのご褒美である。以前はビールを飲みながらであったので、少しは体に良くなったかもしれないが、ビールとコーラでは大差ない気もする。こんな私なので、ランニングを始める前は当然のことながらメタボであったが、ふとしたきっかけで走り出し、気がついたら普通の体形に戻っていたのである。ダイエットしようとしたのではなく、走ったら痩せてしまったのであった。
ホテルのコインランドリーで洗濯をしてから、明日の予定を考える。事前の計画は2つたててあった。
Plan A(元気な場合)
8:10南草津駅発 8:29京都駅着 コインロッカーに荷物を預ける
8:47京都駅発 9:01比叡山坂本駅着 比叡山延暦寺へ
17:00頃京都駅発 19:00頃新横浜 20:00頃帰宅
Plan B(疲労困憊あるいは痛み再発の場合)
8:10南草津駅発 8:29京都駅着 コインロッカーに荷物を預ける
京都を軽く散策
11:30頃京都駅発 13:30頃新横浜
14:30MUZA川崎シンフォニーホールで被災地復興支援チャリティ・コンサート
疲労困憊ではあるが痛みは再発していない。せっかくここまで来ているのだから、明日は比叡山延暦寺に行くことにする。
ベッドに横になり、ランナーズアップデートでタイムを見返す。40kmから42.195kmまでの2kmちょっとを20分以上もかかることがあるんだと変に感心する。
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三日目の朝はゆっくり起きて、ホテルのバイキングでたっぷりと朝食を取る。マラソンで後泊した翌朝の食事は格別である。レース中に何度もお腹を壊したのが嘘のようだ。今朝はさすがに牛乳は避けようと思ったが誘惑に負けた。コーヒーも頂いた。疲れた感じはあまりない。ゆっくりにしか走らなかったので当然である。腰も痛くない。しかし両脚のお尻から足の先までは、前も後ろも全部が激しい筋肉痛である。普通には歩けない。でも比叡山延暦寺には行けるだろう。走るわけではなく、神社仏閣にお参りするだけなので問題ないと思う。

ホテルをチェックアウトし、電車で京都駅に向かう。京都駅構内のコインロッカーに大きな荷物を預け、リュックを背負って観光客に早変わり。湖西線に乗り席に着く。
「地震です!」
緊急地震警報がスマホとiPhoneで鳴る。訓練だった。今日は3月11日。朝からなんとなくボケっとしていたがこれで目が覚める。大学一年生のとき同じクラスで親しかったグループに実家が名古屋の人と、湖西線の和邇という駅が実家の人がいた。運転免許を取り立ての私は、その二人ともう一人友人を誘って、4人でまず名古屋まで行って一晩泊めてもらい、翌日和邇まで運転して来たことがある。和邇でも泊めてもらい、翌日舞鶴までドライブした。その時以来となるびわ湖西岸観光である。
比叡山坂本駅に着くと私の他にも何人か降りた。彼らは登山靴を履いていて、本格的とまではいかないが、軽い登山スタイルである。わたしは薄底のランニングシューズで場違い感がある。比叡山というからにはそれなりの山なのではないかと一抹の不安を覚えながら、舗装された緩やかな道を登っていく。ケーブルカー乗り場まで路線バスも出ているが、ランナーのわたしはそんなものには乗らない。しかし今日の足で山に登るのは無理なので、ケーブルカーには素直に乗ろうと思う。
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京都マラソンには何度も参加してそのたびに観光し、大阪マラソンでも京都に泊まることがあって、京都の観光地は一通り制覇している。昨年宇治に行き、平等院鳳凰堂と、日本三大古橋の一つである宇治橋とは知らなかったがその近くにある紫式部の像も見た。残るは比叡山延暦寺のみだ。京都から行くにはちょっと遠いので、今まで機会がなかった。
源氏物語を調べているうちに、比叡山延暦寺は物語の中で重要な役割を持つことも知った。長い物語の最後の舞台は、比叡山の横川(よかわ)というところで、その中心が横川中堂とのことなので、一目見たいと思った。ガイドブックの比叡山延暦寺のページのコピーは用意したが予習はしていない。でも比叡山延暦寺そのものは有名な観光地なので、その近くに行けば横川中堂にたどり着けるだろうという軽い気持ちであった。今回のびわ湖マラソンは、大河ドラマで「光る君へ」が放送されている年であり、源氏物語を自分のテーマにしたので、締めは比叡山延暦寺がいい。ぜひ行きたいと思っていた。
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比叡山坂本駅からケーブル坂本駅までの間は、その先に比叡山延暦寺が無くても来る価値がある街並みだった。坂本三丁目の交差点には日吉神社の鳥居があり、その先には、公人屋敷(旧岡本邸)という所があった。興味を引かれたが、月曜日は定休とあり立ち寄ることができなかった。マラソン翌日の観光ではよくあることで、こればかりは仕方ない。程なく京阪電車の坂本比叡山口駅に出る。石山寺とは反対側の終点の駅のようだ。帰りはここから電車に乗ろうと思う。



反対側には坂本観光案内所があり、この地は立派な観光地であることを自覚する。日吉大社の大きな鳥居があり脇道に入ると滋賀院門跡があった。いい雰囲気のところだった。芙蓉園という庭園もよさそうだった。



その先の道路へ出て、とび太くんに遭遇する。レース中にとび太くんに仮装したランナーを見たが、ようやく本物に出会えた。比叡山延暦寺登山道大原登山口とケーブルカー乗り場への分かれ道で、迷わずケーブル坂本駅方向を選ぶ。東海自然歩道との看板があり、ということは、東京の高尾山口につながっているのだと思う。往復切符を買いケーブルカーに乗り込む。

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ケーブルカーに乗るのはいつ以来かわからない。基本的に歩いて登れるところなら自分の足で登る。でも今日の脚では無理だ。先に書いたように私は高所恐怖症でケーブルカーも怖い。座席は下を向いていた。ご丁寧に景色がよく見えるようにガラス張りになっている。肘掛けをぎゅっと握る。でも景色がよい。震える手でカメラのシャッターを切る。でも、無理してケーブルカーの中でシャッターを切る必要はなかった。降りたところの展望台では、写真を撮ってくださいと言わんばかりに琵琶湖が広がっていたのだ。

看板には、比叡山延暦寺東塔地域まで600mとある。路肩に雪が残っている坂道を歩き、右の柱に比叡山、左の柱に延暦寺と書いてある間を通り、参拝料を払う。早速根本中堂(こんぽんちゅうどう)へ向かう。

え!工事中なのか。「改修中も参拝できます。祈りの心を未来へ、延暦寺根本中堂、平成の大改修」とあるポスターが目に入る。平成の?と思うと、工事期間は平成28年10月から平成38年3月までとあった。10年かけて改修する?
いったいどんな工事なのかと思いながら中に入ると立派な鉄骨が組まれていて、かなり大掛かりな工事である。
解体して同じものを作り直したほうが早く安く済むのではないかと思うほどだ。写真を撮っても良い場所もあり、鉄骨の写真を何枚か撮影した。工事現場でお賽銭をあげて何か意味があるのかと思いながら、財布の中の小銭を出して入れる。瀬田の唐橋に続き工事現場見学になった。


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根本中堂を出てちょっと休憩してから、あたりを散策する。「開運の鐘一打100円」、鐘をつこうとしている二人連れがいる。一人がスマホで写真を撮ろうとしているが、構図をさんざん考えていて時間がかかる。私の順番になり、100円を入れ、構図に時間がかかったその人に私の写真を撮ってくださいと頼む。首にはフルサイズ一眼レフがかかっているが、ほとんどの人がそういうように、その大きなカメラは操作できないというので、代わりにスマホを渡す。鐘の音が鳴り響き、動画にしてもらえばよかったと思う。
引き続き東塔エリアを散策するが、それぞれの建物の間の距離が長く平坦ではない。雪が残っている道もある。延暦寺の境内というより、比叡山の山中なのである。山全体が境内なのではないかと思うほどだ。西塔エリアにも行ってみようとするが、アップダウンや階段がある道をフルマラソンの筋肉痛を抱えて歩くのは苦行が待っているだけだ。東海自然歩道や京都一周トレイルコースになっている部分もあった。


まだ西塔に着いていないのにこんなにも厳しいようだと、源氏物語の最後の舞台である横川(よかわ)に行けるのかどうか不安になってくる。一つのお寺が想像を絶する広さなのである。境内を掃き掃除しているお坊さんに聞いてみた。
「横川というところは遠いですか?」
「歩いていくには相当遠いです。バスがありますが、今の季節は動いていないです。」
ガイドブックの地図の縮尺をよく確かめてくるのだった。
西塔の釈迦堂に着き写真におさめ、標識に書いてある距離を見てこの先はあきらめ、折り返してケーブルカーの駅に戻る決心をした。ケーブルカーで降り、京阪坂本比叡山口駅まで歩く。JRの比叡山坂本駅で降りたのが10時頃で、京阪坂本比叡山口駅に戻ったのが15時半ごろだった。昨日マラソンを走ったのと同じぐらいの時間をここでの観光に費やした。比叡山延暦寺には、根本中堂の改修工事が終わったあとまだこの山を歩くことのできる健康を保っていられればまた来よう。できればバスが動いている季節に。
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まだ多少時間が残っているので、1日目に行けなかった三井寺に行って見ようと思う。京阪に乗り三井寺駅で降り、三井寺に行く。「祝 ユネスコ『世界の記憶』登録」とあり、なんだこれはと思いながら境内に入る。金堂で開催されている「紫式部と三井寺展」に、まず向かう。三井寺は紫式部と縁が深いとのことで、展示物をゆっくりと眺めた。その後は、境内を散策する。私の知っている広さのお寺であり、渋い魅力のある建物が多かった。

続いて近くにある大津市歴史博物館に行く。ここでは、特別展示「源氏物語と大津」が開催されているが、月曜日は休館であった。観光地は月曜が休みのところが多く、マラソンの翌日に観光するのは不利である。残念であるが今回の観光はここまでとした。
最後に皇子山陸上競技場に向かった。ここに仮設トイレがあって、飛び出して時間ギリギリに競技場に入ったなと思うが、昨日マラソン大会があった形跡は何もない。総合運動公園を通り過ぎ野球場の脇へ行くと、大阪桐蔭のバスが停まっている。今日は月曜日の夕方なのにここで練習試合でもするのだろうか。京阪大津京駅を通り過ぎ、JR大津京駅に到着。百人一首の札の横にある自動販売機で缶コーヒーを買って、一息つく。紫式部の句は、最初が6文字と字余りになっているところに趣があるらしい。

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京都から新幹線に乗りびわ湖マラソンを振り返る。マラソンレースでは「走る君」に出会えてお話しすることが出来たのが思い出に残る。お腹を壊してしまったからこそ起こった出来事だった。お腹を壊したのはホテルの朝食で牛乳を飲んだからだ。でも最初の予定は、ホテルではなくコンビニでおにぎりでも買って朝食にするはずだった。ホテルにしたのは前日の夜東京羽田ヴィッキーズの本橋選手が試合中に怪我をしてしまい、気持ちが落ちたためだった。いろいろな偶然が重なった「走る君」との出逢いは、一期一会そのものだった。
走る君へ
めぐり逢って、見たかどうかわからないうちに、雲間に隠れてしまった夜半の月のように、君は、あわただしく姿をかくしてしまいましたね。紫式部の歌のように。
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな
今回、観光は充実していた。なにより源氏物語を予習してきたのがこのマラソンを兼ねた観光旅行を有意義なものにした。マラソンだけでなく観光も事前の準備が大切である。びわ湖マラソンにエントリーしなかったら、生涯源氏物語には触れなかっただろう。
帰宅し全部で800枚くらいある写真をPCにバックアップした。ざっと見返す。一眼レフで撮影した石山寺などの観光写真もきれいに撮れてはいたが、スマホで撮ったゴール後の琵琶湖の写真が一番だ。写真は撮影したときの心情が映りこむものだとつくづく思う。
3月9日から11日まで3日分の日記も簡単に書いた。そのあと、ジョグのねっとわーくに、ゴール後の琵琶湖の写真とランナーズアップデートのスクリーンショットとともに、次の文章を書いた。
事前予告通り、最初から自己最悪記録を目指して走り、見事に達成。でも、DNSを考えるほど昨日まで痛かった腰が全然痛くならず、青梅のときのように走ったあと動けなくなることもなく、自分の身体に騙された感じである。
何日か後にYoutubeの動画を見る。ゴールシーンの私はもはや走っているとはいえない状態でかろうじて前に進んでいたが、笑顔だった。オールスポーツコミュニティーの写真を見る。50枚ほどあったが、こちらもやはり最初の数枚を除けばどう見ても走っているようには見えないものばかりだった。そして、オールスポーツの写真の中に、「走る君」の姿は見つけられなかった。
(了)
参考文献:
「寂聴と読む源氏物語」、瀬戸内寂聴、講談社、2008年
「光源氏に迫る 源氏物語の歴史と分化」、宇治市源氏物語ミュージアム、吉川弘文館、2021年
「誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ」、林真理子×山本淳子(対談集)、小学館101新書、2008年
「平安ガールフレンズ」、酒井順子、NHKラジオ「朗読の世界」、2024年3月18日から29日放送
「図説あらすじと地図で面白いほどわかる!源氏物語」、竹内正彦、青春出版社、2018年