1.序章
昨年に続き今年も勝田マラソンに参加する。しかし残念ながら左ハムストリングスの肉離れが良くならず、大会一週間前から全く走らないでフルマラソンに臨むことにした。目標も控えめである。
松:制限時間内完走
竹:第2関門までの30kmを走る
梅:第1関門までは走る
参考までに関門タイムは以下の通りである。
第1関門17.6km2時間30分8’39″/km
第2関門30.0km4時間30分9’00″/km
第3関門34.9km5時間10分8’53″/km
フィニッシュ 6時間00分 8’32″/km
このタイムを書いた紙をパウチした「関門カード」を用意した。
2.前日観光
勝田マラソンは東京から日帰りで参加できるが、もはや走ることより観光のほうを重要視しているため、前日に移動する。昨年は常磐線の特急で水戸まで移動してから大洗海岸を散策したが、今年は趣向を変えて、鹿島神宮経由の鹿島臨海鉄道大洗鹿島線で向かうことにした。
2.1香取神宮へ
品川から成田空港行きの快速グリーン車に乗る。キャリーケースを持っているので成田空港から海外に行くようにみえるだろう。でも降りるのは手前の成田駅。ホームに降り立つと大勢の人が降りていてちょっと驚く。ここで銚子行きに乗り換え佐原駅で降りる。小さな駅だがそれなりに降りる人がいて、バス乗り場には列が出来ていた。到着したのは大型ではなく、小型のコミュニティーバスだ。私はぎりぎり座れたが、ぎゅうぎゅう詰めで、乗り切れなかった人が数人バス停に取り残された。雨の日に皆さんどこに行くのだろう。そしてバスの乗客は全員香取神宮で降りた。

神宮と名がつくのは神社のなかで一番格式が高いそうで、明治以前から神宮という称号を持つのは3つしかない。ひとつは昨年参拝した「伊勢神宮」で、残り2つのうちの1つがこの「香取神宮」とのことだ。

あいにく小雨で、出かける前に折りたたみ傘を鞄から出して置いてきたことを後悔する。キャリーケースを引き一眼レフを上着の中に入れて雨の中を歩くのは辛い。しかしここに来るのは今日が人生で最初で最後と思い、写真を撮りながら参拝した。少し大きい神社という感じではあるが、格式がとても高いのだという目でみれば、厳かな感じもする。



2.2鹿島神宮へ
佐原駅から電車で鹿島神宮駅まで移動する。雨は上がった。駅前でコインロッカーにキャリーケースを預けようか迷ったが、短時間でもあり節約するため引きずって坂を上って鹿島神宮に到着する。
私にとって、明治以前から神宮という称号を持つ3つのうち、最後に残った「鹿島神宮」である。




昔は参拝前に御手洗池で禊(みそぎ)をしたそうで、身も心も清められる空間であった。
要石は上部が少し凹んでいた。

さざれ石といえば、国家「君が代」である。歌詞は、古今和歌集にある、詠み人しらずの歌だそうだ。
わが君は
千代に八千代に
細(さざ)れ石の
巌(いはほ)となりて
苔のむすまで
さざれ石は日本各地にあるらしいが、これがさざれ石なのかとしみじみ眺めたのは初めてのことである。
2.3鹿島臨海鉄道で水戸へ
二つの格式高い神宮をお参りして、マラソン前日のメイン行事は完了。私は神社で願い事はしない。しかし神社仏閣が好きなのは、非日常の雰囲気を味わいたいからである。鹿島神宮では「足腰のお守り」を購入したが、これでハムストリングスの肉離れが急に良くなることはない。ここにきたという記念に買ったまでのことである。


鹿島神宮駅に戻る。鹿島臨海鉄道ではSuicaは使えないとのことで、自動販売機で切符を購入。1,750円もした。
ホームに上がると、14:04鹿島神宮発15:21水戸着の車両がすでに停まっていた。えっ、この車両に1時間半も乗るのかと思うが、他に選択肢はない。

ジーゼルカーに乗り込み発車を待っていると、反対側のホームに白の制服を着た駅長さんが立つ。本当に駅長さんかどうかは定かではないが、制帽に赤い帯が2本あるので、それなりの立場の人だ。これはVIP登場か。まもなく見たことのない車両が入線してきて、駅長さんが敬礼する。水戸行の車両とは、あまりに違う。
水戸行の車両には10人ぐらい乗っていたが、皆ホームに出てその車両を見る。私も降りてホームにたち、遠目から写真を撮った。近くを通り過ぎるときにお顔も拝見したが、私の知らない人であった。


鹿島臨海鉄道は予想通りワンマンカーであった。鹿島サッカースタジアムの横を通りすぎて、私はカメラをリュックにしまう。
iPhoneを取り出して、バスケットライブで、東京羽田ヴィッキーズの対新潟戦の観戦を始める。ヴィッキーズはリードはしていたが、ちょっと危なそうで、小さな画面に向かって心の中で声援を送る。
向かいの乗客が、「ここは線路がずっとまっすぐなんだよね」と話しているのが聞こえ、iPhoneから目を上げて立ち上がって前を見る。まっすぐだ。
一眼レフをリュックから再び出し、運転席越しに前方の写真を撮る。
そうこうしているうちに、ヴィッキーズは勝利を収めた。明日の試合はレース中なので、走りながら試合会場の長岡に向けて念を送るつもりである。

2.4水戸駅周辺散策
水戸駅近くのホテルにチェックインし、少し休憩してから散歩にでる。といっても夕日は傾きかけていて、偕楽園や千波湖に行くには時間が足りない。そこでまだ行ったことのない水戸城跡の方向へぶらぶらと歩いた。駅のすぐそばに「弘道館」があり入り口まで行くが、閉園直前なので入場料を払って入るのはやめて、門から中を覗き込んだ。

すると、この場にいた係の人から、「建物の中はダメですが外から写真を撮るだけなら無料で入っていいですよ」と言われ、ラッキーと思って庭を一周した。
弘道館は、旧水戸藩の藩校(藩の学校)だったそうだ。

弘道館を出た先には門がある。かつて水戸城があった跡である。この門をくぐり中に進んでみても、お城の跡という感じがない。道路には石垣があるが、江戸時代に築かれたようには見えない。最近作られたようである。そしてその石垣の中は、学校の校舎のようだった。

この辺りでは、ランニングシューズを履いた観光客が目立ち、明日はマラソン大会だという雰囲気に包まれていた。水戸駅に戻り、夕食にする。

夕食は、定番の吉野家牛丼特盛と生卵である。みそ汁とかお新香はなし。ちゃんと消化してエネルギーに変わるよう、ゆっくりかんで食べる。
ホテルでアスリートビブスをつける。6666という、運がいいのか悪いのかわからないナンバーだ。

Tシャツは、東京羽田ヴィッキーズが今シーズン開幕前のプレシーズンマッチの時に販売したものである。「準備はいいか?」、耳が痛い。この勝田マラソンは何も準備できないまま迎えた。まあ明日は、最低第一関門までは行こう。
3.マラソン報告
3.1スタートまで
勝田マラソンのスタート時刻は10時30分で他の大会より遅い。東京からの日帰り参加者を獲得するためと思う。前泊の参加者も冬の大会の早朝はかなり寒いので遅いほうがよい。大会によってはホテルの朝食を食べていると間に合わなくなることもあるが、勝田の場合は朝ゆっくり準備できるのもよい。


朝食の写真で、泊まったのは東横インだとわかる人はわかると思う。炭水化物中心である。左上のカップは天ぷらそば。
故障していなければ、ガーミンのフルマラソン予測タイムぐらいで走れると思う。でも今日は、最初からゆっくり行くと誓う。

水戸駅から電車で一駅、勝田駅に着く。駅から会場まで無料送迎バスがあるが私は歩く。会場が駅から近いのも勝田マラソンのいいところである。
ウォークマンでLittle Glee Monsterのアルバム「BRIGHT NEW WORLD」を聴きながら商店街を歩き、ようやく今日はフルマラソンを走るのだと意識するようになる。

天候は快晴だが風が強く、マラソン日和ではない。しかしこの季節に風が強いのは当たり前のことであるし、主に多摩川河川敷で練習しているので風は苦としない。そのかわり、いつも平地で練習していることもあって、坂は苦手である。特に下り坂は嫌いだ。
会場の写真を撮ってから、所属しているランニングクラブの陣地がある「ひたちなか市文化会館」へ向かう。


着替えて文化会館の前で記念撮影し、X(旧Twitter)にアップする。「なんでこんな大切な試合の日に長岡に来ないんだ」とバスケファン仲間から言われてしまわないよう、「ヴィッキーズのシャツで走るから」と許しを請うためである。
スタッフの学生3人組(高校生の感じ)が記念撮影していたので、彼女たちのスマホを捜査して撮影してあげる。
「私たち26kmにいるから」
「そこまで走れるよう頑張るよ」などと会話する。
3.2スタート前
私はFブロックの最後尾でGの看板を持って立っているスタッフの高校生に話しかけたりしてスタートを待つ。アップはしなかった。前方が空いているのにブロックの後ろのほうにポツンと立っているのもおかしいので、前に出てならぶ。つじかぜアスリートクラブのTさんにお会いして、スタートまでお話ししていた。Tさんは70歳以上のウルトラランナーとして有名な方で、ランスマ倶楽部でインタビューが放映されたことがあり、つい最近もマラソン月刊誌に掲載されていた。
今はもうなくなってしまった柴又100Kで何度もお会いしているが、私が先行するが必ず後半追い抜かれる。「バリーさんはウルトラなのに最初飛ばしすぎ」とよく言われたものだ。だいたいキロ6分ぐらいで100kmに挑み、40km~50kmはそのペースで何とか行けても、後半はボロボロになった。もっとゆっくり走る必要があったのだが、ゆっくり抑えて走るのもなかなか難しいものなのだ。今日は抑えて走れるだろうか。スタート後は私が先に出たが、後で追い付かれるかもしれないと思う。
3.3レース内容
スタート後すぐに息が上がってしまい苦しい。キロ6分というスピードで走るのは10日ぶりなので、心肺機能が落ちてしまっていた。心肺機能は短期間で上下するので、フルマラソン前に刺激入れをするのであるが、今回は故障を悪化させるリスクがあるのでやらなかった。また花粉も多く感じる。普通の人にとってはそう多くないのかもしれないが、生まれつき花粉症の私にはとても多く感じていた。今年はまだ花粉症の薬を処方してもらっていない。これは失敗だった。スピード練習はできなくても、フルマラソン前に花粉症の薬を用意することぐらいはできたはずだ。この大会に本気で取り組んでいない証拠である。
(2025年2月6日NHK「あしたが変わるトリセツショー」で、花粉症対策の決め手は早い段階から薬を飲むことだと紹介されていた。これは本当である。花粉症の人は1月中に病院で処方してもらうことをお勧めする。)
スタート渋滞を抜けてからは、キロ6分の40kmペース走のつもりで、淡々と安全運転を続けた。息が苦しいのは10km以上続いたが、その後は苦しくなくなった。体が走ることを思い出したようだ。
レース中には、ナンバーが12345の女性ランナーにいい番号ですねと言って自分の6666を見せたが、迷惑だっただろう。また、沿道に「流山CJ」のタオルを掲げた方々が居て、その前で話し込んでいたランナーが私の目の前に来て走りだしたので、思わず「流山の方ですか?」と声を掛けてしまった。レース中は自分から他のランナーに話しかけないよう注意しているのだが、暇だったのがいけなかった。
「私は〇〇〇さんの知り合いなんです。」(〇〇〇はハンドルネーム)
「???」
「本名でいうと、△△さんです。」
ここから彼は勢いよく話し始める。
「ああ、彼女はすごく速くて、先週も自己ベストを出しましたよ。」
「その話、私も聞きました。」
「私は福※といいます。幸福の福です。68歳です。あなたのお名前は?」
「バリーです。66歳です。」
「ご本名は?」
「△△さんならバリーでわかると思いますよ。」
「△△さんは横浜から越して来たと言っていましたが、バリーさんも横浜の方ですか。?」
「私もだいたいそのあたりです。」
「そうですか。」
「△△さんが前に住んでいたところは、住所は横浜市かもしれませんが、実際は川崎とか鶴見です。そのあたりは横浜とは呼ばないんです。横浜といったほうが受けがいいからそういうことにしているのかな。」と思ったがそれは口に出さなかった。
ペースを抑えて走っていたためか、つい余計な会話をしてしまったのであったが、左脚に不安を抱えながら恐る恐る走っていたのも事実である。しかし痛くなりはじめたのは左脚ではなく、左の尿管下部、右の腸骨のあたり、それと右の膝だった。尿管下部とはなにか。これは尿管結石が左の尿管の下のほうで引っかかっているということだ。私は体質的に腎臓に結石ができやすいようで、1個目は高校2年生。以後、少なく見積もっても100個以上排出している。尿管の途中で大きいのが引っかかってしまい衝撃波で破砕したこともあるし、大きくなって腎臓から出なくなって、背中から穴をあけて取り出したこともある。走ることによって腎臓が揺れると、結石が小さいうちに自然排出されやすい。
尿管の上のほうで引っかかってしまうと、今日は痛み止めの座薬を持っていないので最悪救急車騒ぎになる。でも下まで落ちているようなのでなんとかなる。今まで走っていて石が尿管から膀胱に落ちたことを感じたのは何度もある。膀胱に結石があると尿が溜まっていなくてもトイレに行きたくなる。トイレにいくかどうか迷いながら走る。そのとき25km手前の仮設トイレが空いているのが見えたので、すかさず入った。多分その時結石は排出されたようだ。安産だった。難産で救急車さわぎになれば完走記のネタになったのになと思う。
26kmの給水所手前でサングラスを外す。朝写真を撮ってあげたスタッフの女子高校生らしき3人を見つけるが、話しかけることもなく、気が付いてもらえることもなかった。
35km通過の時にいつもの癖でフィニッシュタイムを計算する。ちょっとペースをあげれは4時間10分を切れることがわかり、危険を顧みずペースアップしてしまったことは反省点である。
勝田マラソン1kmラップタイムと5km毎スプリットタイム
(手元計測のため公式タイムと若干違う)
00-05km 6:07 6:04 6:12 6:04 5:56 30:23
05-10km 5:58 6:06 6:03 5:59 5:53 1:00:09
10-15km 6:02 5:52 5:43 5:52 5:36 1:29:11
15-20km 5:54 6:20 5:50 5:59 5:38 1:58:51
20-25km 5:53 5:50 5:48 5:46 6:28 2:28:35
25-30km 5:50 6:02 5:35 6:10 6:00 2:58:12
30-35km 5:53 5:50 5:36 6:06 5:52 3:27:29
35-40km 5:31 5:38 5:46 5:45 5:58 3:56:07
40-42.195km 6:03 6:01 1:15
グロス 4:14:59 ネット 4:09:22
(25km手前でトイレ休憩、それ以外はノンストップ)
これでフルマラソンの完走は75回目となった。キロ6分を基準にすると、どの程度遅れているか、あるいは貯金があるか簡単にわかる。坂が多く風もあったので、イーブンペースとはいかなかったが、平均すればほぼ一定のスピードで走れた。そのため後半はかなり多くのランナーを抜くことができた。
給水上では、何度も「準備できているよ!」と声をかけられた。「準備はいいか?」Tシャツは好評だ。これで東京マラソンも走ろう。今年も運よく当選した。東京マラソン当日は東京羽田ヴィッキーズの今季最終戦が17時からある。「準備はいいか?」Tシャツで東京マラソンを完走し、その足で大田区総合体育館に行きヴィッキーズの優勝を見届けることができたら、もう死んでもいいくらいだ。
(この投稿を書いている時点でヴィッキーズは2位であり、最終戦に優勝がかかる可能性がわずかにある)
勝田マラソンは他の大会と比較して、私設エイドがとても多い。開催地全体で盛り上げてくれる。何度も私設のエイドでバナナやチョコレートをいただいた。短パンの後ろポケットにはカフェイン入りのジェルを2個入れていたが、摂取することはなかった。
結果としてキロ6分より速いペースで完走できたが、周りの人々に目標6時間と宣言していたので、ゴール後知り合いのランナーから、「また、バリーさんの詐欺にあった」と言われて、それはそれで楽しめた。いつも月例川崎マラソンで一緒に走っている女性ランナーからも、レース後facebookで「バリーさんが6時間で走るなら、途中で追い付けると思って走っていた。」と書き込まれた。確かに詐欺のような気もする。

この完走証では最初の5kmのラップタイムが空欄であるがスタートロスを引くと30分20秒である。
その5kmだけは30分を超えたが、以後はずっと29分台をキープし、35kmから40kmの間はペースアップした。見方によっては、これ以上ない完璧なペース配分とも言えるのであるが、最初から失速したスピードで走っているのだから、これぐらい走れて当然ともいえる。
でも目標は完走で、途中関門でリタイアも考えていたことを考えれば、まあよかったなと思う。
3.4ホテルに帰還
会場から勝田駅まで、送迎バスには乗らず商店街を歩く。
途中で、スタッフの方々が、温かいお茶を配っていた。これがどれだけありがたいか。ランナーの気持ちをよく理解している。歴史を積み重ねてきただけのことがある。
遅めの昼食として、マラソン完走後の定番ビックマックに加えて、サーティーワンのアイスを買ってホテルに帰った。


4.翌日観光
4.1大洗海岸
勝田マラソン翌日は、まず大洗海岸に出た。

海水浴場には、誰もいなかった。
思わず「今はもう秋 誰もいない海」と口ずさむのは、前期昭和人間そのもの。1970年発売のこの曲、トワ・エ・モワなんて知らない人のほうが多いだろう。こんな古い曲を歌うようでは、若い人に相手にされない。
「誰もいない海 二人の愛を確かめたくて」で始まる17才は、南沙織のオリジナル版は1971年。このとき私は中学1年生。森高千里のカバー版発売は1989年で平成元年。かろうじて昭和ではないが、それでも知らない人のほうが多いのだろう。

展望台からの海の眺めはよくていい写真が撮れそうだと思っても、高いところにわざわざお金を出して上るのは非常識た。私は極度の高所恐怖症なのである。タワーの下から見上げて写真を撮るだけで素通りした。
次に、かねふくめんたいパークが現れた。ここは有名なところらしく、月曜日の朝なのに多くの車が駐車していた。しかし私はここも素通りする。明太子が苦手なのだ。辛くない明太子なら大丈夫だが、辛子明太子は人間の食べるものではない。間違えて辛いものを口に入れてしまう危険があり、明太子には近づかない。
人間の味覚は5つ。甘味・酸味・塩味・苦味・うま味である。辛味は味覚ではなく痛覚である。あっ痛い、こんなもの食べてはいけないと感じ体を守るのが痛覚である。辛い物は食べてはいけないのだ。



昼時なら大洗海鮮市場でランチにするのだが、まだ朝で店も開いていないので素通りする。大洗漁港では岸壁の近くを歩く。新卒から定年退職した65歳まで船の仕事をしていた期間が長く漁港にも愛着がある。
漁船をみるとレーダーや無線のアンテナを見てしまうという職業病は治りつつあるが、漁船にIG3-****(数字4ケタ)と書いてあるのを見ると、IGは茨城県で3は3級船(5トン未満の海水動力漁船だったかな)などと思い出してしまう。茨城は「いばらき」と読むのでIGではなくIKであるべきだ。しかしそれだと石川県のIKと同じになってしまう。だから「いばらぎ」と読むわけではないがIGになってしまったという話も聞いたことがある。もっとも「茨城」は「いばらき」より「いばらぎ」のほうが発音しやすい。それに、茨城弁では「茨城」は「いばらぎ」と発音するらしい(情報元は不明)。

大洗磯前神社には昨年お参りしたので、今年は海の中にある鳥居を横目で見るだけで通過した。
この写真は、鳥居をメインに撮影しているのではなく、海の広さと波しぶきを撮影するために鳥居を使ったつもりである。打ち寄せる波の音も写真に収めようとした。が、そんな腕は持っていないことをあらためて自覚する。
4.2 大洗アクアワールド水族館
続いて水族館(大洗アクアワールド水族館)に入る。月曜日の午前中にお客さんが居るのかと思うのは大間違いで、幼稚園の遠足客でにぎわっていた。

遠足で来ていた幼稚園児に囲まれて童心に帰り、カリフォルニアアシカに拍手する。
しかしアシカ・イルカショーを見るうち、イルカはどんな気持ちでジャンプしているのだろうかと思い始める。エサをもらうため、つまり生きるために仕方なく飛んでいるのだろうか。エサをくれるお姉さんの笑顔が見たいのだろうか。昨日より1cm高く飛ぼうと頑張っているのだろうか。ただただ飛ぶのが楽しいのだろうか。

私のフルマラソンは、1秒でもPBを更新したいと思っていた時代は過ぎ去り、今はただただ走るのが楽しくて走っている。いや違う。速く走る努力をしたくないから、楽しくて走っていると自分に言い聞かせているのかもしれない。
昨日のマラソンは故障中だったのでスピードを上げずに走った。最初を除けば、苦しいとか、辛い時間帯はほとんどなかった。一方、出し切った感とか達成感はあまりない。でも自分の年齢を考えれば、このようなレースでいいかなとも思う。でももう一度サブ4で走りたいとも思う。高齢で高く飛べなくなったイルカは、若いときほど高くは無くても、幼稚園児を楽しませるために自分が出せる最大のパワーで飛ぼうとしているのだろうか。

水槽を撮影するのは難しい。イルカのジャンプはさらに難しい。どこから飛び上がるかわからない。しかも窓の外は逆光でイルカは黒い。こういう時はどうすればうまく撮影できるのか、どなたか教えていただきたい。(ストロボは不可)
外の太陽光と屋内の照明の光が混ざるのも厄介だ。あとで補正できるよう、グレーカードを出して撮影しておいた。

4.3 国営ひたち海浜公園へ
14時半を過ぎお腹がすいてしまったので、水族館のフードコートで鮪づくし丼を食べてから、海岸沿いを那珂湊まで歩く。

那珂湊の市場をぶらぶらする。たくさん食堂があり、どれも海産物が美味しそうだ。水族館のまぐろもよかったが、できれば食べずにここまで我慢すればよかったと後悔する。ちょうど昼食時に那珂湊に着くようスケジュールを立てればよかった。
来年ここに来るために、もう一度勝田を走ろうかとさえ思う。

ひたちなか海浜鉄道で終着駅の阿字ヶ浦駅まで移動。阿字ヶ浦駅から3kmぐらい歩いて国営ひたち海浜公園南口まで歩いたが、着いた時には閉園まであと15分だったので、中には入らずバスに乗って勝田駅に戻った。

バスの中からまだ残っていた勝田マラソン残り2kmと1kmの看板を見る。バスの窓からみると結構な上り坂だ。昨日はよく頑張った。
4.4おわりに
計画がないまま一日中ぶらぶら歩き、こんなに贅沢な日はそうそうない。急いで帰る必要がないのもよい。勝田からは常磐線の特急に乗らず、上野行き各駅停車で帰途についた。
(了)
