シーズン前に一度長い距離を走りフルマラソンを思い出すために、横浜ビーチサイドマラソンに参加した。レース中に転倒し負傷したが、気力を振り絞り年代別2位入賞を果たしたレースを振り返る。
八景島の手前にある「海の公園」が会場で、初めて訪れた場所なので半分観光気分だ。天気予報に反し、スタート時は雨は降っておらず、走るにはかなりよい気候状態であった。フルマラソンの部で私のカテゴリーである60歳代以上の選手は8名エントリーしている。しかし、スタートラインでは私を含めて4名しか見当たらなかった。そのうち1名は高速ランナーのようだ。残りの2名は、私が普段通りに走ることができれば先着できそうな手応えを感じた。

スタートゲートの前で、写真販売サービスSTKのカメラマンに私のスマホでも写真を撮っていただいた。私はマラソンのほかに写真撮影も趣味としており、マラソン大会のカメラマンにも興味を持っている。彼の持っているカメラは自前なのかなどと尋ねた。
胸の「横浜奪首」はDeNAベイスターズの今年のスローガンである。ペナントレースで優勝することを目標としたものだが、阪神タイガースに独走されてしまい2位でシーズンを終え、悲願達成は叶わなかった。
この大会のコース監察員の中には私が所属しているランニングクラブの方々もいて、少し話をしてからスタートラインに並ぶ。私はここまで1500mや5000mのための練習を主にしてきて、フルマラソン用のペース走などは全く行っておらず、このレースを実質的な最初のペース走と位置づけている。その状態ではちょっと無謀ではあるが、今日はサブ4のペーサーにつくことにした。ペーサーの方はサブ4ペースより少し速めになるかもしれないと話していた。
コースは一周3kmの周回で、最初のみ195m手前からスタートする。ペーサーはあっという間に100mぐらい先に行ってしまったので、私はついていかずにマイペースを保つ。私の後ろには何人かついてくる。周回していくと、コース監察員の半数以上が私のクラブの審判部の皆さんであった。皆さん日本陸連公認の審判員である。審判部の皆さんから見るとランナーの中で知人は私だけのようで、通り過ぎるたびに声援をいただいた。
走ってみると、このコースは走りにくい。石畳や砂利交じりのコンクリートの区間が多く、普通の舗装路は少ない。またその舗装路は地中で木の根が膨れているようで、路面が1~2cmほどうねっている部分もある。ぬれていて滑りそうで怖い坂もある。
私はサブ4ペースで走っていてペースを上げたわけではなかったが、少しづつ前を行くサブ4の集団に追いついてきた。雨が強くなり、これなら集団に入って走った方が良いと思い、ちょっとスピードを出して集団に追いつき最後尾を走った。
ここまでのラップタイムは次の通り。
1:06(最初の195m) 16:25 16:38 16:40 16:39 16:31 16:39
一周3kmなので、サブ4ペースのキロ5分40秒で走ると17分である。ちょっと速めである。給水で集団がばらけ、ペーサーのペースが落ちたため私がペーサーに追いつきしばらく並走する。監察員に会うたびに声掛けしてもらうので、「私のクラブの先輩です。」とペーサーに説明する。しばらくするとペーサーのペースが若干遅くなってきたようだ。私はペーサーの前に出てサブ4集団の後ろの方を走る。木の根が膨れている区間に入る。
「うあっ!」
気が付くと目の前は路面だった。キャップとサングラスが前方に見える。顔を怪我したようだ。すぐには立ち上がれず倒れたままのところにペーサーが到着し、助け起こしてくれた。アスリートビブスを止めていたランナップが一か所外れている。狭いコースの真ん中から脇にそれ、歩き出す。前方から私より年配の私のランニングクラブの女性が駆け寄ってくる。
「倒れている人がいると聞いてきたけど、梅野さんだった。」
近くにトイレがあったのでそこで手足や顔を洗うが、鏡がないのでどの程度の傷なのかわからない。周回コースでトイレの反対側にショートカットすればすぐに本部に着くが、それはもうすぐ中間地点という段階でのDNFを意味するため避けたい。コースアウトしたところからコースに戻りゆっくり走りだした。
その先で、大会の救護係と思われるとても若い女性がこちらに向かって駆け寄ってきた。倒れていたのは私であると説明し、一緒にゆっくり走る。救護テントに行く前に7周目のラップを記録させてもらい、コースアウトした。7周目のラップタイムは、25:03で10分近くロスしている。
救助係の女性は消毒するなどの行為はできないようであったが、顔をミネラルウォーターで洗ってくれたり、ガーゼで拭き取ってくれたりして助かった。そして再び走り出そうとすると彼女は驚愕の表情を見せ、もう一度私を座らせて救護の責任者を呼んだ。その責任者は医師ではなかったが、頭を打っていないかと質問し、私を立たせてジャンプさせるなどして異常がないか確かめた。
「ちょっと走っておかしかったらすぐ止まりますから。」と言って私はコースアウトした地点からコースに戻った。残り7周21kmある。脚はまだ問題ないけれど完走できるかどうかわからない。走り出すとゆっくりならもう少しいけそうな感じだが、メンタル的なダメージが大きい。よそ様に迷惑をかけるのはよくないと思う。もうこれ以上フルマラソンに挑戦するのは辞めようかとさえ思う。クラブの審判の方々に会うたび事情を簡単に説明する。私より年配の先輩ランナーは、
「歳をとると足が上がらなくなる。ぼくもよくころぶようになった。」
と慰めなのかわからないが、声をかけてくれる。8周目は救護テントでのピットインが長く30:30かかったが、9週目のラップタイムは19:23だった。
30.195kmになる10周回目でトイレに寄った。用を足すのではなく、腕についた砂が気になっていたので洗い流すためである。そのトイレには鏡があった。
「この顔で走っているのをみたら怖い。」
とさえ思うほど、顔面は血まみれであったが顔は洗わなかった。出血は止まっているのに、洗ってまた出血したくなかった。そしてこの周回でDNFしようと決意した。それでも30.195km走ったことになるので練習としては十分だ。
しばらく走ると、コースの脇に先ほど助けてくれた若い女性の救護係が立っていいる。私を見つけるなり心配顔で、「大丈夫ですか? 最後まで走れそうですか?」
と声をかけてくれる。反射的に、
「ゆっくりなら完走できそうだよ。」
と答えてしまう。こう答えた以上残りの12kmを走るしかない。DNFは取り消しだ。キロ6分半程度で走り続ける。最後まで走れそうである。10周目はトイレロスがあり20:27かかった。4時間半以内の完走は難しそうだ。
11周目、若い女性の救護係の前を、「あと4周」といって通り過ぎる。雨は降ったりやんだりで、潮風の香りがするときもある。ラップタイムは19:49。
サブ4のペーサーが前方に見える。明らかに遅い。どうやら失速しているようだ。ペーサーでも失速することはあるだろう。結局彼はDNFだったようだ。気が付くとコース上にはほとんどランナーがいない。あとからスタートした12kmのレースも終わり、フルマラソンだけ残っているようである。そして私より速く走っているランナーはもう見かけない。前を行くランナーをひとり、またひとりと追い越していく。12周目、若い女性の救護係のほうからあと3周と声を掛けられる。12周目のラップタイムは19:09と少し速く走れた。
13周目にトイレによる。ラップタイムは20:43。怪我をしてからもトイレに寄った周回を除けば20分以内で走れたので、今年3月の東京マラソンのように完全にばててキロ7分以上かかってしまうことはなかった。
14周目、ファイナルラップに入る。コース上のすべての係りの人に挨拶しながら走る。若い女性の救護係は、完走できそうな私が近づくと我がことのように嬉しそうな表情をして、「あと半周!」と声をかけてくれる。彼女がいなかったら途中でやめていただろう。クラブの方々の声援も力になった。残り1.5km。
この先左に曲がってすぐに折り返してくる部分があり、ちょうど折り返してきたランナーのゼッケンを見る。60歳以上の同じカテゴリーだ。失速している感じではないが、それほど速くもない。私と同じぐらいのキロ6分半ぐらいで走っている。スタートしたのが4名なら一人抜けば最低でも3位入賞だ。折り返し点では月例川崎マラソンでいつも給水係をしてくださっているクラブの年配の女性が話しかけてきたが、「前のランナーを追いかけるから。」と言い残し、そこからスパートする。
100mは離れていない。残りの距離は1kmほど。スピードを上げると前のランナーとの距離が縮まってくる。これなら追いつける。躓いた場所を慎重に通過しどんどん加速する。あっという間に追いつく。一気に抜いてしまえば付いて来られないと判断し、躊躇せずに前にでる。ガーミンの表示をスピードに変えると、キロ5分で走っている。我ながらよく力が残っていたなと思い、ゴールテープ目指して減速せずに走る。
ゴールの100m手前ぐらいからMCの方が「お疲れさまでした、あと少し」とアナウンスしてくれる。「何度もお見かけした、とても印象深いランナーがまもなくゴールです。」とマイクで叫んでいる。そりゃそうだ、顔面血まみれで走っているのだから印象深いに違いないなどと思いつつ、両手をあげてフィニッシュした。最後の周回は17:43だった。

すぐに救護テントにいきますかと言われ着替えてからと答えたときには、私が追い抜いたランナーがすでに記録証と3位の表彰状をもらっていた。私は2位なんだ。2位の表彰状と記録証はビニールの袋に入れて渡してくれた。雨が降っていて手もぐちょぐちょなので、これは助かる。
「ビニールに入れてくれるのはとってもいい。」
とMCの人に伝えた。
荷物を受け取り更衣テントに入ると、私を診てくれた救護の責任者が、両足を攣って苦しんでいる人を介抱していた。「おかげさまで2位です。」と表彰状を見せる。半分呆れているような表情にも見えたが、なにより無事でよかったという感じでもあった。
着替えてから救護テントに戻り絆創膏を貼ってもらい、トイレに行って鏡をみる。マスクをすれば何とか電車には乗れそうである。レース後に八景島シーパラダイスに行くつもりだったが、天気が悪く予定より遅くなってしまったので今日はやめて、最寄り駅の一つ先の八景島駅まで歩くだけにした。
金沢八景まで戻って、タリーズでサンドウィッチをつまみコーヒーを飲みながら、あぁまたやってしまったと反省する。今年の7月20日、炎天下の皇居で木の幹に激突し、頭部から出血して救急搬送されたばかりなのだ。その時は幸いなことに軽傷ですんだのであった。それにしても、運転免許証を4日前に更新しておいてよかった。5年間血まみれの顔写真を持ち歩くことは避けられた。これだけは不幸中の幸いといえよう。

いやそうではなく、血まみれの運転免許証を見るたびに、無茶せずに安全に走ろうと思うほうが良かったのかもしれない。今回も大事には至らなかったが、こんなことを繰り返しているうちに本当に取り返しのつかない事態に陥るかもしれない。
でもそれもまた私の人生かなと思うのである。
以下は、大会のホームページより。




(了)