本稿は、2011年11月、多摩の微風jognoteに連載した文章を若干書き直したものです。大阪マラソンのコース紹介のつもりで書きました。前期昭和人間がサブ3.5を目指して走った記録なので、 昭和歌謡曲を知らない世代の方々は読んでもわからないと思うことが多いのはご勘弁ください。
1.マラソン前夜
もう100回以上大会に参加しているが、前日移動し宿泊するのは初めてのことである。朝早くから大阪に移動してもよかったが、多摩川クラブの土曜練習会は今日地元の六郷グラウンドで行われるため、最初だけ参加する。帰り道ペース確認のため、200mだけキロ5分で走ってみる。路面だけを見てぴったり1分で走れた。ペース感覚は完璧。よい兆候である。
10時半、明日の大阪マラソンへ向けて出発。新幹線の中も新大阪駅も一目でランナーとわかる人が多い。地下鉄の2dayパスを買おうとすると、長い列ができていている。品切れになり、近くの駅に取りに行っているとのことだ。私はぎりぎり購入できた。そして皆さんとは逆方向の電車に乗る。太陽の塔を見るためである。
ここで最初のトラブル。千里中央駅で駅から出られない。市営交通の範囲外だったのだ。駅員もいなくてインターフォンで呼び、乗り越し料金を払う。モノレールに乗り換え万博記念公園へ行く。仕事以外で大阪に来るのは、小学校6年生のときの万博以来である。小学生のころは体が弱く、自分が41年後にマラソンを走るために太陽の塔の前に来るなどというのは想像できないことであった。公園の入り口まで行くと、なんと有料である。私は太陽の塔が見られればそれでよいので、写真だけとって引き返した。

ホテルにチェックインし、受付会場へ向かう。インテックス大阪には20年ぐらい前に展示会に出展するために来たことがあるが、ほとんど覚えていない。ここで、またもやトラブルが。時計のLAPボタンが半分割れて、なくなっている。長く愛用しているが、なにもここで壊れなくても。SEIKOのブースで購入しようか迷ったが、使えないこともないので新品を使うリスクは避けた。
続いて、京セラドームで都市対抗野球ヤマハ対JR東日本を観戦。チケットを購入し入り口に行くと、チケットがいらないばかりか、崎陽軒の焼売やお菓子、応援グッズなどをくれる。東京からわざわざJR東日本を応援にきたと思ってくれたようだ。最初だけ応援席に行き、あとは別の席で観戦した。試合は面白かったがホテルに帰るのが10時を過ぎてしまい、コンビニの弁当を食べ大浴場のお風呂に入ると11時過ぎ。ナンバーカードをランシャツにつけると12時を過ぎている。

さらにここで、よせばいいのに持ってきた本の続きを読み始めてしまう。「さよならドビュッシー」が佳境に入っているのだ。「このミス大賞」だけのことはあり、結末が素晴らしい。読み終わると1時過ぎ。興奮して眠くない。さあこれで、あしたのマラソンはどんな結末が待っているのだろうか。
2.さあスタートだ
いよいよ本番当日。朝5時過ぎ、目覚ましが鳴る前に起きる。9時スタートなので6時ごろには朝食を取りたいが、ホテルのバイキングは6時30分から。6時20分に部屋を出ると、エレベータの前にはナンバーカードを付けた選手が数人いる。レストランのある2階で降りると長蛇の列が出来ており、完全に出遅れた。しかしここでしっかり食べないと今までのトレーニングが無駄になるわけで、ゆっくり普段の3倍ぐらい食べた。部屋に戻り、脱ぐだけで走りだせるように着替え、大きな荷物はホテルに預けて出発。阿波座駅のホームはランナーとその付き添いの人ばかり。電車もランナーであふれている。森の宮駅で降りるも混雑のためホームからすぐに地上に出ることが出来ず、だんだん焦ってくる。前泊して遅刻したのでは話にならない。荷物を預けるトラックの前に到着したのが7時45分頃。荷物預かりはもうすぐ締め切りと放送されている。少し雨が降ってきたので、ビニールをかぶり荷物を預ける。ここからスタート地点まで30分かかるという。
スタート地点に向かって軽いジョグで大阪城公園を走る。できれば念のためトイレに寄りたいが、長い列に並ぶのも考えもの。公園の案内図をみると、順路から100mぐらいはずれたところにトイレがある。そこまで走っていってみたら、待たずに用をたせた。スタート前の最大の難関がトイレ渋滞だか、軽くクリア。大阪入りしてから今ひとつのことが続いていたが、やっと運もめぐってきたようだ。
8時10分ごろにAブロックに並ぶ。スタートまで50分もあるのに大勢いる。並んでからストレッチをする。スタートロスは1分以内ですみそうだ。雨は上がりビニールを脱いでポーチにしまう。今日は暑くも寒くも無く、風もなく、日差しもなく、マラソンをするには理想的な天候である。運が良い。3時間半切りを狙うのは、今日が最初で最後と思う。
ほどなく芸能人が順々に出て来て、Bブロックのほうに歩いていく。そのたびにランナーから歓声があがるのだが、私の知らない人たちばかりである。そのあとゲストランナーの紹介。一番人気は、男子は川内選手、女子はシモン選手であった。最後に登場したのが間寛平さん。私の並んでいるすぐ横のDJ席に突然現れ大歓声があがる。笑いも取る。スタート台上の大阪府知事と大阪市長は、「今日は仲良くやれよ!」などと野次を飛ばされ、お互い知らん顔したままランナーに手を振ったりしている。
そんなこんなでスタート時刻はあっという間に近づく。痛いのは五十肩だけ。体調万全でフルマラソンに臨むのは2年前のつくば以来である。車椅子がスタート。緊張感はない。マラソンはスタートラインに立ったときにレースの大半は終わっているものである。これ以上は無理というほどトレーニングを積んできた。レースのペース配分を間違えるような失敗をするはずもない。この天候なら自己ベストの3時間33分20秒を更新するのはたやすいこと。
続いて我々もスタート。高揚感なし。スタートライン通過35秒。スタートロスが短くて済んだので、よほどのことがない限りグロスで3時間半切りも出来るはずだ。自信満々。
3.序盤は抑えて
スタート直後は多少の渋滞もあるが、コース幅が充分ありストレスを感じるほどではない。背中にナンバーカードをつけていないBブロックのランナーが無理にジグザグに走って抜いて行くが、無駄にエネルギーを使うことになるためそのような走りは厳禁である。私は流れに沿って走る。これがスタート直後の鉄則である。ちょっと遅いかなという感じだが、1kmまでは周りにあわせていくことにする。
次に大切なのは距離表示を見逃さないことである。初めて参加する大会ではどのように表示しているかわからない。失敗したことがあるが今回は問題なく発見。ラップタイムは5分15秒である。体感とタイムがほぼ一致している。
コースは下り坂が続く。キロ5分と思うペースまで上げ、それ以上速く走らないようにする。ペースの上げすぎは命取りになることはマラソン経験者なら誰でも知っているが、ペースを上げないで我慢するのも結構きつい。沿道は大観衆である。Bブロックの陸連登録ではないスピードランナーが、どんどん抜いていく。Aブロックの選手にも抜かれっぱなし。この状態は10kmぐらいまでは続くはずだが、とにかく我慢するのが大事と言い聞かせて、路面だけを見て走る。
フルマラソンは、今回が14回目である。一番良い成績は今日これから出す予定で、一番悪い結果は2008年の東京マラソンの4時間24分だ。東京マラソンにはそのとき以外全部落選しているので、リベンジのチャンスがなく、まずは東京の失敗を大阪で返すつもりである。東京の失敗の原因はトレーニング不足であるのは明らかなのだが、準備不足なりにベストを尽くして走ることが出来なかった。反省点は3つある。
①タイツで長距離を走ったことがなかったのに、タイツをはいて走ったこと。
②周りの雰囲気に呑まれ、自分の実力以上のペースで最初の5kmを走ったこと。
③私を追い抜いた猫ひろしの後ろについて少しの間走ったこと。
寒いと思いタイツをはいたのだが、それまで短い距離しか使ったことがなく、それが原因かどうかわからないが25km過ぎに両足の太ももの前面が痛くなってきて、28kmぐらいで両足つってしまった。走るどころか歩くことも出来なくなり30kmの救護室で少し休んだ。なれない服装はだめ。今日は多摩川クラブのランシャツ、ランパン、帽子、ポーチだけ。ゲーターやサポーターなどをつけていないのは、フルでは久しぶりのことである。
東京の時は、まだサブ4を達成する前であった。Aブロックの最後尾からスタートしたが、すぐ後ろがBブロックの先頭なので、いきなり大勢に抜かれる状態になった。気分も高揚していた。4km地点にはTV朝日のカメラが待っていて、多摩川クラブの応援団が取材されることになっていた。その状況で自分のペースを守るなどということは無理な相談であった。オーバーペースとはこういうことだ。
そしてやっとペースも落ち着いてきたとき、後に猫ひろしがいるのである。観衆が私の後ろの方を向いて、皆「猫!」と叫ぶので気がついた。そのころはオリンピックを目指すほどではなく、私より少し速い程度であった。その集団に500mほどついていってしまったのだ。これでペースはぼろぼろになり、両足がつって、おしまいである。とどめはもう一度猫ひろしに抜かれたことだった。どこかで休んでいたのだろうか。今日の大阪マラソンも芸能人が多く参加しているようだが、私より速い人は少ないだろうし、そもそも私は最近の芸能人はほとんど知らないので、猫ひろしについて走ったような失敗をする恐れはないだろう。今日は何があってもマイペースで行くと心に誓っている。10分ちょっとで2km通過。予定のペースより少し速い程度だ。
4.御堂筋へ
3kmを過ぎ右に曲がると、その先は上り坂になっている。上りといってもたいしたことはない。力を入れないようにして走る。坂を上りきると今度は下り坂である。結構急な感じである。トレイルほどではないにしろ下り坂は苦手であり、膝や大腿部に衝撃を与えないようにそっと下りていく。下り切ったあたりが5km地点である。
5km スプリット(グロス)25:14、最初の5kmのラップタイムは24:39。
ちょっとだけ予定より早い気もするが、このままのペースを保つことにする。最初の給水を過ぎ、いよいよ難波の交差点に差し掛かる。交差点を右折するとイチョウ並木の御堂筋である。このあたりで雨が降ってきた。霧雨よりも細かい雨である。このような雨を「こぬか雨」とよぶ。予定通りである。ここは御堂筋なんだから。
小ぬか雨降る 御堂筋 こころ変わりな 夜の雨
大阪万博翌年のヒット曲、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」。この曲は春の夜の御堂筋らしい。今は秋の朝だけど、かまわず口ずさみながら走る。
あなた あなたは —ここで歌詞がわからずハミング— あなたをたずねて 南へ歩く
私は今、北へ向かって走っている。作詞者は知らないが、作曲はベンチャーズ。昔の歌謡曲はよかったなと思う。2番のサビ。
ああ 降る雨に 泣きながら みをよせて 傘もささず 濡れて —このあとわからず。
予習してくるべきだった。歌詞が思い出せずマラソンに集中できない。たしか歌詞には心斎橋もでてきたはずだ。本町あたりもでてきたと思う。今は昨日宿泊したルートイン大阪本町の近くを走っているようだ。対向車線に車いすランナーが通過する。いつ見ても速い。車いすを見て「雨の御堂筋」から我に帰り、走りに集中する。
フルマラソンのランナーは、一番右のイチョウ並木に下を走らされていて、中央寄りはチャレンジランの専用になっていたが、まだチャレンジランの選手が来ないためか7.5kmの給水の手前からそちらも開放され、広々とした道路を気持ちよく走れるようになった。
5.淀屋橋
あっという間に淀屋橋交差点。右に曲がる。会社の大阪営業所が淀屋橋と北浜の中間にあった時代があり、若いころ淀屋橋を拠点として随分と飲み歩いたものである。今は新大阪駅の近くに移ってしまい、つまらなくなった。ここで3時間半のペースランナーとその集団に近づいているのに気が付く。3時間半のペースランナーを追い越さないというのが今日の注意点の一つである。ペースランナーに近づいているのは、自分のペースが上がったのではなく、ペースランナーが9km通過時点でペースが速すぎることに気が付き、10kmで帳尻をあわせるためにペースを落としたためだと思う。ここまでの自分のペースには絶対の自信がある。ペースランナーのペースランナーになってあげたいぐらいだ。
北浜駅を過ぎると、反対車線にランナーが現れた。先頭のランナーはすでに通過してしまったようだ。わずかな区間だけコースが対面でなくなることは、事前に知っていた。ちょうどその間にトップが通過してしまい、有名選手を見ることができずに残念だった。谷川真理さんだけ気が付いた。
先週、国立競技場のグリーンリボンランニングフェスティバルで、谷川真理さんのランニング教室を受けた。遠くの景色はたまに見る程度にして、ひたすら数メートル先の地面を見て走るのがよいと教わった。反対車線の有名人に気を取られてペースを乱してもつまらない。トップを見られなかったのは、今日は自分の走りだけに集中せよということだと自分に言い聞かせ、教えを思い出して前を向き、路面とウォッチだけを見つめた。
10km通過。スプリット49:49 ラップタイム24:35。
スプリットタイムが3時間半ペースピッタリになった。ここで思い切ってペースをキロ4分58秒、5キロ24分50秒に落とすことにした。お断りしておくが、私はGPS搭載のウォッチではなく、ごく普通のSEIKO SUPER RUNNERS、昨日ラップボタンが割れたものを使っている。ペースは1km毎のキロ表示と自分の感覚だけが頼りである。それで正確にペースを落とせるのかといわれると、それが落とせるのである。走るのは遅いが、ペース感覚は自分でも優れていると思っている。思っているだけかもしれないが、今はレースの最中なのだから、何事にも自信を持つべきだと思う。11kmは予定通りのタイムで通過。折り返して再び淀屋橋を目指す。右手には川が流れている。そうか、ここは中の島だ。
水の都に すてた恋
一番が札幌、二番が大阪、三番が長崎を唄うこの曲は、内山田洋とクールファイブの「中の島ブルース」。高校生の頃にヒットした曲だ。タイトルにブルースとあるが分類すれば「演歌」である。走りながら歌うのが非常に難しい。「雨の御堂筋」はアップテンポなポップス系の歌謡曲なので、走りにあわせて歌うことができるが、「中の島ブルース」は、演歌系歌謡曲でスローテンポなため、走りにあわせて歌おうとすると、走るほうがおかしくなってくる。
泣いて別れた 淀屋橋 小雨そぼ降る
—違う。小雨そぼ降るのは御堂筋ではない。今日は小雨そぼ降る天気だが、それは三番の長崎だ。ここは落ち着いて、最初に戻ろう。
赤いネオンに 身をまかせ 燃えて花咲く アカシアの あまい香りに 誘われて
あなたと二人 散った街 あーあ あーあ ここは札幌 中の島ブルースよ
一番は完全に唄える。でも今日は北海道マラソンではない。二番だよ。二番。
水の都に すてた恋 泣いて別れた 淀屋橋
小雨そぼ降る 石畳 あなたと二人 濡れた街
だからそれは、二番の途中から三番にワープしちゃってる。左に曲がり、今度は御堂筋を南へ向かう。「中の島ブルース」はあきらめよう。もしもう一回大阪マラソンを走るなら歌詞カードを用意だ。気が散ってしまい走りに集中できない。東京マラソンではなかったことだ。
6.もうへたばったか?
御堂筋の反対車線には、多くのランナーがゆっくり楽しそうに走っている。これもマラソンの楽しみ方だろうし、いずれは自分もこうやって走るようになるだろうなと思いながら前を向きなおして走る。御堂筋を南にむかってしばらく行くと、15km地点である。
15km通過。スプリット01:14:37 ラップタイム24:48。
スタートは30km先にあるのがマラソンである。スタート地点まで半分まで来た。ラップタイムは予定通り。しかし、気のせいか、若干足が重たくなってきた。過去の経験では、自己ベストを更新するようなレースでは、最初の10kmぐらい足が重たくて、15kmあたりでだんだんと足が軽くなってきて、調子が出てくる場合が多い。失速する場合は、最初調子がいい感じなのに、半分ぐらいからだんだんと体が重くなってくる。今日失速する要素はないはずなのに、悪い予兆がする。どうしてこんなことになってしまうのか。キロ5分は速すぎたのか。ほかに歌詞に御堂筋が出てくる曲はないかなどと考える余裕もなく、観光気分は吹っ飛ぶ。これ以上は無理と思うほど充分トレーニングを積み、体調を整えて迎えた大阪マラソン。天候は最高に良く、痛いのは五十肩だけで体調万全なのに、あえなく失速してしまうのか。不安が走りを委縮させる。
難波の交差点を右に曲がる。大観衆と大歓声。この時雨は上がっていたが、歩道から離れ高速道路の下を走る。ますます足は重たくなってくる。右ひざにも違和感がある。ペースが落ちることはないが余裕もない。まだ半分にも来ていないのに、このありさま。この辺りでは、ランナーズハイになってどこまでも走り続けられるような感覚になってもおかしくないはずなのに。
京セラドームが見えて来る。昨晩都市対抗野球を見に来たところだ。来たことのある場所だというだけで少し落ち着く。タイムを狙うなら、下見も必要なのかもしれない。京セラドームの手前で右に曲がる。反対車線に給水所がある。折り返してきたときに「ピットインリキッド」を摂取しようと決める。せっかく持って走っているのだから、ここはエネルギー補給だ。効果のほどはわからないが、たとえ気持ちの問題であってもかまわない。ここまで水とアミノバリューだけしかなかったが、後半はエイドに食べるものがあるだろうから、いつもより早めに補給することにした。折り返した後、20kmを通過する。
20km通過 スプリット01:39:26 ラップタイム24:49
ペースは保っている。ポーチからピットインリキッドを取り出し、給水所が近づいたときに口にする。ごみをごみ箱に捨て、水を飲んで口もゆすぐ。止まりはしなかったが5秒ぐらいはロスした感じである。給水テーブルが終わったところに私設エイドがある。洋菓子屋さんのようだ。ケーキのようなものがある。思わず手にして口にする。おいしい。生クリームは大好物なのだ。
走ったあとは生ビールより生クリームだと思う。無性に食べたくなる。走った後、勇気を出して一人で店に入ってチョコレートパフェを食べることもある。しかしカロリーが異常に高く、どう考えてもランナーが食べるようなものではない。ソフトクリームも好きで、高尾山練習の後のアイスは最高だ。でもレース前は、ビール、生クリーム、アイスクリームなどは控えるようにしている。
チョコレートも好きだ。チョコレートも控えるようにしていたが、ワイナイナ選手はレースの3日前にチョコレートを食べるとランナーズに書いてあったので、チョコレート伝説と勝手に名づけ、3日前の木曜日は仕事中にアーモンドチョコレートを食べ続けた。もうひとつ禁断の好物がポテトチップスである。これはご褒美にとってある。3時間半を切れたら、帰りの新幹線でポテトチップスを食べるのだ。
ケーキはとてもおいしかったがすぐに後悔した。給水所は過ぎてしまっているのである。口の中がすっきりせず、ますます足は重くなってくる。エネルギー補給のはずが、変に血糖値を上げてしまったのか調子が悪い。体が思うように動かないが、頑張ってペースは保つ。中間点にくる。タイムは記録しなかったが、グロスで1時間44分50秒ぐらいだったような気がする。ぴったりであるが余裕もない。三度目の難波交差点が近づく。
7.失速の危機
交差点は大観衆だ。右に曲がる。ますます辛くなってくる。練習方法が間違っていたのか。調整に失敗したのか。
大阪マラソンを目標にした練習は7月から始めた。まず七夕の7月7日に大腸ポリープを切除する。前回ポリープを切除した時は体重が3kgぐらい減り、その分速く走れるようになった。切除後はおかゆなどしか食べられず、走ることも禁じられる。もちろん禁酒である。今回もここでいったん休養し、体重も落とせるのではと期待してポリープを取った。予定通り2kgぐらい痩せた。二十歳の頃の体型に近づいた。
7月の最終週からトレーニングを再開し、8月は296.8km、9月は251.3km、10月は昨日までに244.2km走った。9月は300km走るつもりだったが、膝を痛めてしまい悪化させないように少し休んだため距離が短い。膝は大事に至らず復活できてよかった。3か月間でこんなに走ったのは初めてである。最後の調整も、ランニング雑誌や多摩川クラブの方々のアドバイスを聞き、計画的に行った。
4週間前 土曜日 超スローペースの50km走
日曜日 10kmビルドアップ走(53:24)のあとジョグ12km
3週間前 土曜日 等々力陸上競技場での記録会
5000m(21:03) 1500m(5:55) どちらもPB
日曜日 東京夢舞マラソン42.195km走
信号待ちもありトータルすれば超スローペース
月曜日(祝日) 15kmビルドアップ(1:22:33)その他ジョグ15km
2週間前 日曜日 タートルマラソンハーフレース(1:45:13)フルのペースを保つ
1週間前 日曜日 グリーンリボンランニングフェスティバル10kmレース(44:41)
ほぼ全力で走る
1日前 土曜日 ジョグのあと、1km走(4:26)
これ以外は、帰宅ランなどのジョギングでつないでいる。教科書通りに調整したつもりだが、唯一問題があるとすれば、フルのペースで走ったのがハーフの距離までであることだった。30kmのペース走はしなかった。ハーフ以上の距離をスピードを出して走ったのは、2月の青梅マラソンが最後である。自分の脳や体が、スピードを出して走るのはハーフまでと覚えてしまっているのだろうか。やっと次の給水所が見えてくる。給水所の雰囲気は、東京マラソンそっくりである。
この先、左に曲がり通天閣へ向かうコースなのだが、左へ曲がったことや、24kmを過ぎて折り返すあたりのことは覚えていない。ペースを落とせば楽になり大阪の街を楽しめるが、ちょっとでも落とせば3時間半は達成できない。いけるところまでペースを保とうとだけ思い、路面だけを見て走っていたような気がする。折り返す前に3時間半のペースランナーを探したが、見つからなかったことだけ覚えている。
25km通過 スプリット02:04:22 ラップタイム24:56
タイムだけみれば予定通り。ラップタイムがその前より7秒遅いのは、ピットインリキッドやケーキを食べたためであって、苦しいとはいえなんとかペースを保っている。コースのことは覚えていないが、この地点でタイムの計算をしたことは覚えている。42.195kmという中途半端な距離で計算がやっかいだが、私の暗算能力を発揮する場面でもある。3時間半で走るには、キロ5分では間に合わず、キロ4分58.6秒で走ることが必要だ。必要ペース4分58秒だから、キロ5分より1キロあたり2秒速ければよいと考えれば計算が簡単になる。5kmはキロ5分なら25分、そこから1kmあたり2秒引き、5kmでは24分50秒が必要ペースである。25kmをキロ5分なら2時間5分。そこから25×2=50秒を引き、2時間4分10秒でちょうど3時間半となるので、現在は12秒遅れていることになる。このような計算が瞬時にできている間はまだ大丈夫。過去の経験では、計算できなくなるのは脳に回す糖分が底をつくためで、失速の予兆である。
8.天使の応援
25kmを過ぎ、何度か交差点を曲がると、片側2車線で道幅が狭くなった。沿道が近い。Tシャツに書かれた多摩川クラブの文字を見てくれて「多摩川がんばれ」と声援を受けたら、できるかぎり「ありがとう」と返事をした。ユニホームの恩恵は見ず知らずの人から声援をいただけることだ。今回知る限り私の知人は4名走っているが、すれ違うときに見つけるのは不可能に近いので探すことはしなかった。ほかに選手以外でもう一人大阪に来ている人がいて沿道にいると思うが、どこにいるかはわからない。これが東京近郊のマラソン大会と違うところで、「多摩川クラブ」と声をかけてもらうのが、なによりはげみになる。そんな時、思いがけず、私にとって最も勇気づけられる声援を受ける。
「バリー!」
28kmあたり。沿道から私を呼ぶ声。反射的に右手を挙げて声援に応えようとして五十肩の激痛が走り、どなたが声援を送ってくれたのかわからないまま通り過ぎてしまった。
ここで、ご存じない方のために紹介すると、「多摩の微風(そよかぜ)」は各方面で使用しているペンネーム、「バリー」は私の所属する「陸上競技多摩川クラブ」の中だけで使うハンドルネームである。私のことを本名ではなく「バリー」または「バリーさん」と呼ぶのは、多摩川クラブ関係者に限定される。大阪に来ている知人は女性。声援は男性の声だったので彼女ではない。どなたかわからないし、もしかしたら幻聴だったのかもしれないが、この一言で苦しさが少しうすれ、元気が出てきたような気がしてくる。極限状態では精神面も重要だ。一人で走っているのではないんだ。多摩川クラブに入っていてよかったと思う。そろそろスタート地点の30kmだ。レースはこれからだ。
「バリー!」
またしても私を呼ぶ声。今度は歩道をよく見たつもりだが、見つけられない。
「バリー!」、「バリー!」
おかしい。いくらなんでも、次々と私の知人が沿道に現れるはずがない。
「バリーちゃん!」
え?
「うさぎちゃん、がんばれ!」
あ!
私のすぐ右後ろにバニーガール。可愛い娘である。彼女のほうがほんの少しだけ私より速い。バニーガールは私の前に出た。スタイルも抜群に良い。
泣いているのか 笑っているのか
歌が自然と出てくる。
うしろ姿の すてきなあなた
大阪万博の年に流行った、エメロンのリンスのCMソング。
ついてゆきたい あなたのあとを ふりむかないで 大阪のひと
日本各地でロケをして「大阪」の部分がその地名に変わる。「札幌」「大阪」「長崎」などのような4音の地名が曲によく合う。リンスのCMだけあって、ヒロインは松本零士の漫画に出てくるような髪形の女性である。この年に流行ったCMをほかにもあげてみると、
男は黙ってサッポロビール(三船敏郎)
ウーン、マンダム(チャールズ・ブロンソン)
ハヤシもあるでよ(南利明)
それにつけてもおやつはカール
懐かしいなあ。我が家のTVがまだ白黒だったころだ。バニーガールは私よりほんのわずか速いだけなので、ストーカーのようについていくことは可能だ。でもここは自重すべきである。猫ひろしのことを忘れてはならない。マイペースをキープ。スタート地点はこの先なのだ。
9.ここからがマラソンだ
30km通過 スプリット02:29:08 ラップタイム24:46
キロ5分では8秒足りない。でもキロ4分59秒なら、残り12kmで12秒戻せるから、4秒の余裕がある。秒単位の勝負になってきた。交差点を何度か曲がる。不思議なことに30kmを過ぎて調子が戻ってくる。25kmごろの辛さが嘘のようだ。ランナーズハイという感じでもないが、楽にペースをキープできる。体がフルマラソンを思い出したのか、バニーガールへの声援を自分への声援と勘違いし走りながら笑って肩の力が抜けたのがよかったのかわからないが、とにかく調子が良い。3時間半で走れそうな気がしてきた。給水所でバナナをとり食べる。スピードは全く落とさなかった。人混みはなく取りやすい。結構上位にいるのだろうなと思う。
住之江公園というところを曲がり、だんだん沿道の観衆がさみしくなってくる。逆に「多摩川クラブ頑張れ!」の声援を受けることが多くなり励みになる。
35km通過 スプリット02:53:59 ラップタイム24:51
残りをキロ5分で走れば1秒の余裕がある。よくもまあ、こんなに正確にペースを刻めるなと自分でも感心する。
37km。あと5km。前方に上り坂。事前にここに橋があり最後の山場であることは承知していた。この橋をどんな調子で迎えるのだろうかと楽しみにしていた。
坂は迫ってくるが恐れるものはない。ペースを保ったまま上り坂に差し掛かる。ずっと同じ筋肉を使ってきたためであろう。上り坂になって脚が楽になった。周りのランナーは止まって見える。ごぼう抜きだ。気分は最高。ここまで来て、まだ充分パワーが残っている自分が嬉しい。あっというまに上りきる。
問題は下り坂。これが苦手で、下手をすると太腿を痛めることになる。でももうあと5kmだ。多少ダメージがあっても構わない。スピードを出して下る。でもごぼう抜きとはいかない。周りのランナーも結構速い。坂を駆け下りて右に曲がると38km。この1kmも通り過ぎてみればほぼ5分で、ペースは変わらない。平地になってここからスパートしようかとも思ったが、まだ早い。ここは確実に3時間半を切るためにも、40kmまでは自重しようと思う。
給水所が見えてくる。ここでなんと、あのバニーガールと再会をはたす。彼女が給水所で休憩しているのである。思わず話しかけてしまいそうになったが、今はそんな時ではないし、タイムに余裕はない。私が通り過ぎたとたんバニーガールも走りだし、観衆から声援があがった。きっと僕の後をつけて走りたいのだろうと勝手に想像するだけにして、私はマイペースを通した。この後バニーガールに出会うことはなかった。
あと5kmからは、スタートからの1km毎の距離と、残り距離の1km毎の表示がある。39kmを過ぎ195m行くとあと3kmの表示がある。正確にペースを保っている。また、このコースの距離表示は正確であるとも思う。昨年走ったしまだ大井川マラソンとつくばマラソンは、どちらも距離表示に間違いがあった。つくばは35km、大井川は40kmという非常に重要なポイントでの間違い。ラップタイムがおかしい場合は、自分のペースが狂ったのではなく距離表示のほうが間違っていると判断しているが、疲れてきて自分で気がつかないまま失速することもあるので、後半の距離表示間違いは大変迷惑である。
左に曲がり少し走ると、40km地点が近づいてくる。
40km通過 スプリット03:18:44 ラップタイム24:45
残りをキロ5分で走れば16秒の余裕がある。しかしまだ安心してはいけない。残りが2.195kmとは限らず、もっと長いかもしれないのだ。
東京マラソンの舞台裏を書いた本によれば、コースの距離は事前に計測してあるのだが、最終的には第一回大会の当日、交通規制が始まってから専用の自転車で計測するのだそうだ。もし計測して42.195kmより短いとコースは公認されず記録も参考になってしまうので、短い場合はフィニッシュゲートの位置をずらす準備をしてあったとのことだ。この大阪マラソンも第一回なので、最悪の事態を避けるため、安全を見て42.195kmより先の地点にフィニッシュゲートが設置されていると考えてよい。もし50m長ければ、ここでの16秒の余裕は、実は1秒しか余裕がないことになる。100m長ければ14秒足りない。距離が長いかもしれないというリスクは事前に考えてあった。仕事ではここまで緻密に考えることはないが、今日は人生最後のマラソンかもしれないのだ。リスクヘッジが大切だ。夏から練習を積み、今日もここまで40kmがんばって予定通りに走ってきた。それなのに距離が少しだけ長かったために3時間半を切れなかったというのでは泣くに泣けず、一生後悔するかもしれないのだ。最後の勝負に出る時が近づいてきた。
10.ラストスパート
給水所がある。たぶん最後であろう。万一ほかの選手と交錯するようなことがあると致命的だ。のどは渇いていないが、ちょうど前が空いたので紙コップをとる。止まって飲んでいるランナーも多いが、私はスピードを変えずに一口だけ飲んだ。これで、すべての給水所で給水したことになった。今日のレースは途中でトイレに行きたくなることもなく、のどが渇くこともなかった。水分補給は理想的であった。右に曲がる。あと2km。
ペースを上げる。ペースが上がる。3時間半切りを確信する。肉離れでも起こさない限り大丈夫だ。何度か左に曲がるとあと1km。ゆるやかな上り坂が続く。ラストスパートランナーと失速ランナーの二極分化。今日の自分はスパートランナーだ。もう時計を気にする必要はない。多少距離が長くても問題ない。どこも痛くない。息も苦しくない。左に曲がる。ゴールが近づいてくる。左に曲がる。42km通過。最後の直線に入る。3時間半のペースランナーが見えてくる。
ランシャツをランパンの中にきちんと入れる。ウエストポーチのベルトをまっすぐになおす。一度帽子を脱ぐ。髪形を整え、帽子を浅くかぶりなおす。高くて買えないけど、ネットに写真がのるからね。前のランナーの陰にならないようにコースをとる。準備OK。
タイムは3時間29分になるところ。フィニシュゲートが近づいてくる。残る仕事は、笑顔を作って両手を挙げてポーズをとるだけ。
フィニシュゲートの中央部を目指す。
突然目頭が熱くなる。
あと10m。両手を挙げる。
痛い!五十肩だったんだ。
フィニシュ グロスタイム03:29:18 ネットタイム03:28:43 最後の2.195km 10:34
ゲートを通過し止まったとたん、動けなくなる。膝を屈伸しようとしても痛くて曲げられない。肩も痛い。涙も止まらない。ずっとポーチのベルトにかけていたバンダナを今日初めて取り出し、顔をぬぐう。なんとか歩きだすと、そこに3時間半のペースランナーが2人。私から話しかけた。
「初めて3時間半が切れました。今日は絶対にあなた方の前に出ないようにしていたんです。」
握手をして通り過ぎ、ドリンクを受け取り、若い女性のボランティアにチップを外してもらう。フィニシュしたあと一番うれしいのがこれ。自分でしゃがんではずすのは、とてもつらいから。
メダルをもらう。タオルを掛けてもらう。ちょっと選手気分。バナナやパンなどをもらう。それらを入れる袋をもらう。手荷物返却所へ向かう。広々としたところを一人で歩いているうち、またこみ上げてくる。掛けてもらったタオルで拭ったのは、汗だけではなかった。
11.エピローグ

手荷物を受け取ったところで、カメラを取り出し、係の人に写真をとってもらった。荷物をもって更衣場所へつくと、T君から声をかけられる。サブスリーランナーの青年に、3時間半切りのおじさんの涙を見られるのは恥ずかしい。つとめて平静を装い、着替えてストレッチなんかをする。T君はいつものようにひょうひょうとしているが、初サブスリーを心底喜んでいるのが言葉の端々からうかがえる。
大阪マラソンうまいもん市場は高いからやめようということになり、もらったパンなどを食べただけで、地下鉄に乗った。地下鉄のなかで、それぞれ携帯でタイムを確認する。私はホテルに荷物を預けてあるので、阿波座で降りる。別れ際、「サブスリーおめでとう」というと、「3時間半切りおめでとうございます」と返してくれた。
ホテルで荷物を受けとり着替えさせてもらって、また地下鉄に乗って新大阪駅へ向かう。当初の計画では、新大阪駅近くの銭湯へ行くことにしていたが、めんどうになり、新幹線の指定席を変更して早めに帰ることにした。お土産を買い、ビール500ml3缶、お弁当、ポテトチップスその他おつまみを買い込み、いそいそと新大阪を出発したが、お弁当と缶ビール1缶で満足してしまい、以後は爆睡。残りのビールやおつまみは家まで持って帰った。携帯のタイムを何度も見つめ、早々に布団に入った。
翌朝。徒歩で通勤。通勤途中に我が家のお墓がある。あのとき以来の太陽の塔を見て、マラソンを走ってきたことを万博に一緒に行った祖父と祖母に報告し、私の大阪マラソンは完走した。
(了)